長崎物語

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これが如見の記したお春の経歴である。長崎物語の歌詞から受ける印象とは違って、異国に流されたとはいえ、平凡な幸せの人生が見え隠れする。 明治以降のお春に関する文献をいくつか見ると、 『長崎談叢』京都古典同好会発行に蒲原春夫氏の「じゃがたらお春」の中に貴族院議員であつた竹越与三郎氏(一八六五ー一九五〇)が、この『長崎夜話草』を読み感激して『実生活』誌上に感想を述べた次のような文が載っている。 「じゃがたら姫」の「じゃがたら文」を読みて泣かざる者は人に非ずと申すべし」 と、激賞し更に  日本婦人が産みたる無垢無幸の少女、然も千古の名文をとっしゅつし得たる程に、愛国愛人、愛の情思ある少女を異郷に法着して草の如く亡び木の如く卒らしめたる一事に至りては、徳川氏の罪犯遂にオオウべからずと存じ候、嗚呼古今文を草する幾百千人幾十万編、而して多く朝霧暮霞と共に消ゆる中に此の一少女の文留めて天地の間に存するもの果たして何の故ぞ、是一考を要する所と存じ候。 と書いている。  罪のない美しい少女を家族・友人の絆を断ち切って、罪人の如く異国に島流しする冷酷無慈悲の行為は人間として、許される行為ではない。お春の絶望的な心境を思うと、悲しくて泣きたくなる。御免ね、お春ちゃん。許して下さい。 ご静聴有難う御座いました。  完
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