長崎物語

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 手紙を読むうち、おたつは悲しくて声を上げて泣きました。 隠れて手紙を書き送ったのは、お春だけではありませんでした。このような手紙を「ジャガタラ文」といって、今も平戸の旧家や資料館に残っています。 昭和十四年、このお春の事を歌った「長崎物語」が大流行しました。  作詞 梅木三郎  作曲 佐々木俊一  歌唱 由利あけみ 一、 赤い花なら 曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に 雨が降る 濡れて泣いてる ジャガタラお春 未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る 二、 映す月影 色ガラス    父は異国の 人ゆえに    金の十字架 心に抱けど    乙女盛りを ああ曇り勝ち    ララ曇り勝ち 三、 坂の長崎 石畳    南京煙火に 日が暮れて    そぞろ恋しい 出船の沖に    母の精霊が ああ流れ行く    ララ流れ行く 四、 平戸離れて 幾百里(いくびやくり) つづる文さえ つくものを なぜに帰らぬ じゃがたらお春 サンタクルスの ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る  ジャカルタでの日系混血児の受け入れは、非常に好意的であったという。  お春が二十一歳の時、バタビアの名士といわれた、平戸生れのオランダ人で平戸を追放されていた東インド 会社員、シモン・シモンセンと結婚。
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