長崎物語

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蘭学の泰斗大槻玄沢は、このお春の手紙を見て 「文の姿いと殊勝に、あわれ深きやうに思いはべり。抜粋して一軸となし置けるに、その後、菊川采女が妻、朝鮮に布陣せし夫のかたへ送りし文体によく似はべれば、西川がこれにならいて偽作せしものかと思はれぬるゆえ、往年長崎に遊びし時、お春が文の真蹟さぐり求めけれど、誰彼が家にありなど人の言うまでにて、たずね得で帰りき。……よりて考えるに、夜話の文はうたがうべきもなき西川の偽作とみゆるなり。いまだ三五に満たぬおみなの、いとけなきとき放たれしその前に。以下でかかる中古の文の詞を知り覚ゆべきにもあらず。」  と述べ、彼の門弟で地理学会の第一人者土浦藩出身の山村才助もその著『訂正増補采覧異言』の中で「その文辞悲切に観るべし。然れども人多くこれを偽作ならんかと疑う者あり」と記し、やはり偽作であろうと疑い、他にも多くこの見解を取っている者があると述べている。     
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