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しかし付け加えて、全てが偽作だとは思えない節があるとして、後半末尾に具体的な友人、知人の名が出てくることを挙げている。如見はお春より二十二歳年下で長崎にて何らかのお春についての消息を聞いていたのではないか、そして広く世人の興味をそそるようにお春の手紙を下敷きに創作したのではないかと述べている。
確かに疑わしい点はいくつかある。たとえば最初の書き出しに「時雨とともにふる里を、出でしその日をかぎりとなし」という一節があるが、『平戸オランダ商館の日記』によれば流されたとする寛永十六年十月三十一日の記録に、
「昨日と同じく北の風、かなりよい天気。午後三時ごろ検査の後、一隻宛順序正しく出帆した。」と、お春が乗船したブレダ号が出帆した記録があり、その日はかなり良い天気であつた事が分かる。
真偽の程はともかくとして如見によって紹介されたお春という女性について整理してみると次のような点が浮き彫りにされる。
① 長崎の何処かの町に住んでいた。
② 父は紅毛人だった。
③ 母方の親類宅で養われていた。
④ 十四歳でじゃがたらに流された。(寛永十六年)
⑤ 顔かたち美しく習字や読書を心得ていた。
⑥ 唐人の妻になって子をもうけた。
⑦ 長崎へ度々便りをよこしていた。
⑧ 元禄九年の頃まで生き、七六歳で死んだ。
⑨ 後、その子供が日本へ便りをよこしたが、公より禁止された後は消息が途絶えた。
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