また会えたね・受け入れられていた日系人

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 そこでふと気づいた。  カナダにいる日系人って日本語があまり話せないんだって。 「日系人は戦争で日本語学校へ行けなかったから日本語、話せないの?」  そんな素朴な質問が浮かんだ。  クリスはちょっと真顔になった。  あれ? そんなにシリアスなことだった? 「私もそう思ってた。でもね、今日、他の日系のパネラーと話したの。戦争当時はティーンエイジャーだった人、そして戦後はオンタリオ州に移住した。その当時は日本語を話していたらしいけど、その後はもう日本語を話さなくなったって」 「話さなくなった? 話せないんじゃなくて、話さないってことを選んだってこと?」 「そんなふうに考えられる」  クリスは悲しそうな表情で語った。  戦後、カナダに残った日系人たちは東の方へ移動させられた。  すべてを失い、新たな生活をしなければならなかった。  東側では日系人は珍しくて、それほど差別されなかったらしい。  近所の人たちもその多くがヨーロッパからの移民だったからだ。  けれど、日系人たちは白人社会に溶け込もうと必死だったらしい。  なぜか? それはもうトラブルに巻き込まれたくなかったからだ。  日系だったから、強制収容所に入れられた。  財産をすべて勝手に売却された。  それらのトラウマが身に染みていた。  皆がカナダ人になりきろうと努めたのだろう。  子供たちも、学校へ持っていくランチはおにぎりやお寿司ではなく、他の白人と同じサンドイッチを好んだそうだ。  段々と日本語、日本の習慣を忘れていった。  親たちが日本語を話さなければその子供が話せるわけがなかった。  日系三世ではほとんどの人が日本語を話せない。  日本からきた一世の祖父母が健在なら、少しは話すが、三世は外見は日本人だけど中身は白人と同じ。  だから、バナナという言い方がある。  外側は黄色だけど中身は白いということ。
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