第1章 砂漠の国

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 もちろん、忘れられた皇子とはいえ、同じ年頃の貧しい子供達からは考えられないほどの贅沢が、イシュルには許されていた。  広すぎる天蓋つきのベッドも、使うこともない玩具も、ふわふわのぬいぐるみも、書棚を埋め尽くす本も、何もかもイシュル一人のものだった。  兄弟が何人いようとも、逢ったこともない兄弟のほうが多く、それぞれに広大な宮を与えられており、兄弟でものや食事をとりあうなどという話は、イシュルにとっては、絵本のなかの夢物語だった。 「…食事終わったら、母様のところへ行ってもいい?」  イシュルの母親は、踊り子で、陛下のまえで舞を舞って、見初められた。  三ヶ月ほどで飽きた皇帝に忘れられた妃のひとりだ。 「今宵はもう遅うございますよ。…リナ様はお加減がよくないそうですから…、明日、お昼の時間にお伺いしてはいかがですか?」 「…そっか…。じゃ…明日にする…」  踊り子あがりの母には、宮廷暮らしが馴染まないのか、イシュルが物心ついた頃から、母は病がちだった。  華奢な美しい人で、綺麗な声で歌を歌っては、イシュルをあやしてくれたが、イシュルが身分の低い母に逢うことを、女官達はあまり喜ばなかった。  十七番目であろうと、 皇子は皇子だが、イシュルの母の身分は踊り子のままだ。  いっときとはいえ、皇帝に深く寵愛されて、位のあがった妃達とは違う。  イシュルの母は皇帝に馴染まず、愛しいおまえの望みを何でも叶えようといった皇帝に、 『では、陛下…、たったひとつのお願いです…。どうか、自由を。…私を帰して下さい。ここから、出してください…』 と望み、 (帰りたいだと! 我が宮殿より素晴らしいところが、この地上の何処にあろうか! そんなところがあるはずがない!)  と皇帝の激しい怒りを買ったのだと聞かされた。 (…可哀想なイシュル。ずっとこんな窮屈な靴を履かされて…。私が子供のころは、裸足で、好きなように駆け回っていたのに…)  イシュルの母は、時折は、正気が危うかったけれど…、とても優しい人だった。  もっとも、正気の怪しい妃は、イシュルの母に限ったことでもないので、この後宮では、珍しいことでもなかった。  ひとつしかない、移り気な皇帝の愛を、大勢の妃達でとりあうのは、ひどく心に負担をかけることだ。  イシュルの母のように、本人は望まないのに、気紛れに妃にされた娘も多かった。
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