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 日の中頃には、筆を投げ捨てる。その日も畳に寝転がり、自らの作品における悪口をあげつらっていく。誰が読んでいるかも定かでない。起承転結もままならず、登場人物に愛着もなければ、結末に困るとすぐに死なせて終わりとする。小説家としてあるまじき怠惰ではないか。小説なんぞ書かずとも、のんべんだたりと生活はできる。今日こそは編集長に、もう筆を折ることを連絡しよう。そうすれば、書けずにいる劣等感からは逃れることはできる。  決意を拳にこめて、いざ立ち上がらんとしていると、誰かが枯れ葉を踏みつけ、こちらに近づいてくるのが聞こえた。 「もぉし、若旦那」  世話係の老婆お千代(ちよ)が、扉の前で声を張り上げた。僕の部屋としてあてがわれているこの土蔵は、花宮家の広大な敷地の、南側にぽつんと建っている。僕が本家に引き取られる五年前は、物置き小屋になっていたそうだ。本家と土蔵の間には竹林があり、鬱蒼とした竹林を抜けてまで訪ねてくる好き者は、まずいない。日に三度、飯を運んでくるお千代だけが、僕がもっとも顔を合せる人間である。  喜寿の祝いを終えているお千代の腕では、土蔵の扉を開けることは難儀となる。僕が重い扉を開けると、曲がった腰をさらに曲げて、ぜぇぜぇと息をついた。昼飯の時間にしては早い。要件があって、急いで来たことは明白である。 「どうした、お千代」 「旦那様がお呼びでございます」 「親父殿が?」 「秋の間でお待ちでございます。お急ぎくだされ」     
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