椿

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「まぁ、悪い奴ではねぇな。その椿の襟巻きも、あの子がこさえてくれたんだろうし。親戚の子かい?」 「そんなところです」 「親戚ねぇ……」  天狗屋はいやらしい笑みをうかべ、僕の顔へと無遠慮な紫煙を吹いた。眼鏡が曇り、視界が不明瞭となるのに辛抱たまらず、蛇のように絡みついてくる煙を追い払う。 「それでは、原稿。お願いしましたよ」 「へぇへぇ、受け取っておいてやるよ」  宿の暖簾を押すと、粉雪がちらついている。夕方頃には牡丹に変じるだろう。風邪が再発しては困る。軒先で紅い襟巻に顔を埋めていると、暖簾から天狗屋の右手だけがにゅっと伸びて、紅い番傘を押し付けてくる。借りれば返すという面倒ごとが増えるので受け取らずにいると、天狗屋が寒そうに顔を出した。 「あんたのためじゃない、あそこにいる餓鬼のために貸してやるんだ。大人しく差していきな」  我が家へと戻る一本道の始まりに、巨大な杉がある。根元には小さな祠があり、毎日天狗屋が果物を供えている御神木でもあるが、杉の後ろから白い髪がこちらを覗いている。蜜郎である。この寒いなか半纏だけを防寒着とし、僕が履き古した西洋ブゥツを履いている。僕の身を案じ付いてきたのか。仕方なく天狗屋から傘を借りる。     
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