あづさいの森

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恐怖の大王がドタキャンした翌々日、私は昨日のヒーローのもとを訪ねていた。ヒーローといっても、娯楽の少ないこの町の、暇を潰すといったものであるが。痴呆老人と聞いていた割にはしっかりとした足取りで、 古民家の主はお茶を汲んできてくれた。 出された以上は口をつけなければならない。最低限の礼儀、というやつだ。しかし薬臭いお茶だ。可能な限り、顔をしかめないように意識しながら、口に含む。 その直後吹き出して、畳やら何やらを汚してしまったのは、味もさることながら、古民家の主の発言によるところが大きい。 『私は死のうとしたのだ』 ーーーーーーーーーー 老いは必ずしも人をボケさせるものではない。確かに、目をはじめにあらゆる知覚が鈍化し、足は上がらなくなる。けれど意識は鮮明なまま、むしろルーペで覗き込んだぐらい詳細になり得る。 古民家の主はうまい歳の取り方をしなかった自分を恨んだ。 町を出て働いている息子が、気を遣って同居をすすめてきたが、電話越しに聞こえた女性のため息が、うんと頷かせてはくれなかった。女房に先立たれ、べたついた白飯を苦味ばかりが主張する茶で流し込む生活に、古民家の主は疲れてしまった。 だからーー『死のうとしたのだ。老いた父母を捨てた森で』 『帰らずの森は遊歩道から逸れさえしなければ迷わない。迷ったところで、体力のある若者なら森から脱出できる規模だ。しかし、赤ん坊や老人はそうはいかない。そうとも、帰らずの森は口減らしのために使われていたのだ』 『時代が悪かった、と開き直るつもりはない。だが、寝たきりの両親を養っていたら、愛息子の顔を拝むことなく共倒れになっていた、と思うと後悔は起こらない。 息子夫婦との同居を断ったのは、迷惑をかけたくない一方で、この土地から離れたくなかったからでもある』 『弔える資格など、すがりつく父母の腹を蹴った時点でありはしないが、あの森は二人の墓標でもあるのだから』
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