芳乃 加寿美

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 ああ、きれい。もっと早く、こうやって来ていればよかった。誰もいない。ぼっちだからって、人目を気にする必要はなかった。邪魔な酔っ払いもいない。特等席だらけだ。  でも、家に帰って、眠れるのはせいぜい一時間半か。肌荒れもだが、明日の頭の回転が心配だ。ミスは許されない。どんなちいさなミスであっても。一生に一度のお式(笑)なんだもの。  ああ、茶化すようなことを。  どうして言うの。本心じゃない、冗談でしかない。  憧れの職業だった。必死に就活して掴んだ内定だった。やり甲斐に溢れていた。新郎新婦のことを思って、毎日こころを砕いて働いていた。そのつもりだった。  でもボランティアじゃない。会社的には、利益率の高い付属品を売りたいところもある。それがうまく売れない社員には、叱責だって飛ぶ。従業員なのだから。仕方ない。  高額な商品を選んでもらえるよう、その気にさせるトークに磨きをかけるのは、営業努力。無理強いなんて絶対しない。でも結果的に、最終見積もりを見たお客様が真っ青になるのは日常茶飯事。こんな筈じゃなかったと喚く。――サギ、と言う。《来てくれたひとへの感謝の表し》だとか《縁起の良い門出》を、お金で買おうと決めたのは君らなのにね。  ああ、なにしてるんだ、わたし。ばかじゃないの。帰って少しでも寝ないと。     
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