拝啓、詩人のお兄さま

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 今日は長いこと電車に揺られて、熱海までやって来ました。せっかく静岡の地に降り立ったのでお茶を飲んでみたいと喫茶店を覗いたのですが、とても朝早くの時間だったのでどこもまだ眠っていました。残念です。お湯の匂いが辺りにむしむしと漂っているなか、わたしはそれを振り払うように歩きました。朝風呂のサァビスを見かけたのですが、仕事の前に温泉へ入っては、泥だらけになるのをためらってしまいそうだったので我慢したのです。  仕方がないので建物たちが目覚める前に、わたしはバスに乗り込んでぐうぐう眠りました。誰も目を覚ましていない時間というのが、さびしいからです。でも、運転手さんだけは起きていて、わたしを目的地まで連れていってくれます。彼にもゆっくり眠ってほしいと思うのですが、そうすると目的地には行けません。こういう時、世の中はむつかしいものだ、と訳知り顔で頷きたくなります。でもどんな訳を知ったのかはわかりません。むつかしいものだから、まだ理解できないのです。  こどもの頃に詩人のお兄さまへ話しかけていたわたしは、すべて声に出していましたね。空に向かってぶつぶつと言うものですから、へんに開放的な気分になりました。ぶつぶつと表現すると、俯いて地面に言葉を落としていくようなイメェジですが、詩人のお兄さまはきっとお空にいるに違いないと決めつけて、こどものわたしはお空へ言葉をぶつぶつ落としました。本当でしたらあなたのことは詩人のお兄さまたち、そして詩人のお姉さまたち、と呼ばなくてはならないと頭ではわかっているのです。あなたがたはこの世に生まれ、美しい文字の配列を遺して逝きました。大勢の、あなたがた。しかし、人のたましいは死ぬとひとつにまとまるのではないか、とわたしは考えているふしがあります。あなたがたもひとつになって、詩人のお兄さまというあなたになっているのではないかとぼんやり思っています。
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