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運転手さんがわたしの肩を叩いて起こしてくれました。終点の、山の近くまで来たようでした。バス停を下りると住宅街で、少し戸惑います。以外にも急なアスファルトの坂を歩いて山の入口まで行くと、濃い木々の香りがしました。姿の見えない鳥が鳴いていて、恋人を探しているようです。わたしは首をごきりと言わせて山を見上げました。これから、わたしの仕事がはじまります。
わたしの仕事はひたすら歩くことです。歩いて山を見回って、助けを求める植物を見つけます。その悲鳴はいつも弱々しいので大抵の人は放っておいてもいいんじゃないか、と考えてしまうようです。けれど、誰かが助けてあげなければ、その命は終わってしまいます。植物の命が終わることは、本来なら哀しいことではありません。死んだ彼らにも生き物が住みつき、栄養を得て営みを続けていきます。その植物の、特に樹木の死骸は生命の場所(ビオタット)になります。ただし、それは終わるべき時を迎えての話です。まだ終わるはずのなかった命を失うのはいけません。とてもよろしくないことです。だから生きるべき植物をわたしは助けます。助け方は色々あります。病気になってしまった部分を切り落としたり、土の環境を良くしてあげたり、植物に迷惑をかけすぎた虫にお引っ越しをお願いします。一番むつかしいのは、虫が関わった問題です。彼らも生きるために植物の枝や葉や栄養満点の果実をかじります。小さな生き物ほど生きようとする力が強いので、彼らを説得するのは非常にたいへんです。どうしても彼らの嫌がることをしなければならない時は、謝ります。どうしても彼らを殺さなくてはいけない時は、泣きます。泣いて、荼毘に付します。その焚き火の黒い煙と、風に流れていく灰は柔らかく天に昇ります。何かを助けるために、何かの命を奪う。どうしてすべて助けられないのか、とまだ小さかったわたしがごねると師匠は言いました。すべてのものを救えるのはオシャカサマだけなのだよ、と。オシャカサマという存在は、詩人のお兄さまの遺した言葉にもふらりと現れていましたね。雲の上で蓮の花を愛でておられるオシャカサマ。蓮の種はほんのりと温かいので、きっとオシャカサマのいる何万の蓮の花が咲く池はとても暖かいことでしょう。もしかして、詩人のお兄さまはその畔で詩をうたっているのでしょうか。だとしたら、一度でいいから聞いてみたいものです。
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