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ヘッドライトとテールライトが交錯する広い幹線道路を横切っていく後ろ姿は、まるでワルツを踊っているかの様に優雅で、洸が幻覚を追い駆けているみたいだと思ったのは一瞬だった。
実際は、足元に生死の境界線が張られている。見晴らしのいい道路を速いスピードで走行してくる車の急ブレーキが何度もアスファルトを焼いて、クラクションがけたたましく鳴り響く。危険回避の判断を矢継ぎ早にする瞬間に洸は思った、どの車に撥ね飛ばされても文句は言えない、と。
だが、その時。
反対車線のタクシーに手を上げて乗り込んだ滝川の姿を、目の前を走り去った車のライトが浮かび上がらせたのだ。
(ああっ、くそ!)
パーン!
甲高いクラクションが長い呻りを上げた時、発車直前のタクシーのボンネット前で、洸が両腕を広げて立ちふさがっていた。運転手のブレーキ操作が僅かでも遅かったら、洸は跳ね飛ばされていただろう。歩道にいた人々からも悲鳴が上がっている。
驚愕で総毛だった運転主に、すまないと財布からニ十ポンド紙幣を三枚渡して、それがありったけだったのだが、洸は後部座席のドアを開けた。そこには息も乱れていない、艶っぽい微笑の滝川がいた。
(やっぱり、試された……!)
踊らされたと思い知った洸は、滝川の腕を掴んでタクシーから引き摺り出した。そして、人目も憚らず歩道脇の街路樹の幹に容赦なく押しつけた。
「無茶にも程があります、参事官!」
「君だって命を張ってまで私を追って来たね、なぜだ?」
問う滝川の瞳の中で、洸の背後を走るヘッドライトが深海の光虫の様に揺れている。その異次元さながらの美しい景色に時間の経過を忘れて見入りながら洸は滝川の頬に掌を差し出した。
一方では、危険回避の本能が頭にガンガンと痛みを打ち込んで必死に抵抗している。
(留まれ、洸! 戻れなくなるぞ!)
しかし、洸の掌は滝川の髪の中に滑り込んでいった。そして、首の後ろに廻った時、洸は滝川をグイッと引き寄せて、その唇を奪った。ヘッドライトに照らし出されて誰の目にも明らかな状況だという意識は、とうに失われている。
(この唇が欲しかった)
滝川に触れている部分に体中の熱が集中して、周りの一切の景色が消えていた。
(柔らかい)
少し意外な感想が、押し寄せる感情の中で無防備に転び出た。
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