闇の狭間で眠る者

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  「……お前だけ、逃げ出すつもりか?」  そう問い詰めるように言われて、何も言葉を返すことができなかった。  その通りだったからだ。俺は逃げ出す。これから始まる戦いへの恐怖に負けて、今夜取り急ぎの食料と武器だけを持ち、誰にも会わずに城を抜け出すつもりだった。  そっと顔を上げると、思った通りゾルは俺の顔を静かに見つめていた。  年月をかけて刻まれた眉間の皺はいつもよりも深く、言葉を交わさずとも彼の怒りが見て取れる。彼が握る拳はほんの少しだけ震え、鎧と腕具がカタカタと小さく音を立てていた。  彼の反応も無理は無い。  俺は裏切る。それを許す仲間などこの城には誰一人いないだろう。それ程までに、俺たちは……いや彼らは、王妃に揺るぎない忠誠を誓った側近の近衛なのだ。  松明の明かりに照らされたゾルの顔を見ながら、俺は今日の彼の表情を一生涯忘れることはないだろうと思った。 「腕章を置いていけ」  ゾルは、小さくそう言った。  俺は了承し、黙って左腕に通していた腕章を外した。  我が国の紋章が描かれた腕章。王妃に最も近しい近衛たちが付ける誓いの証だ。何故それを先程、寝床に置いてこなかったのだろうと思う。身勝手にこの城を出ていくくせに、どこまでも未練がましい自分が嫌になる。  ゾルは腕章を受け取ると、しばらくじっとそれを見つめ、視線を上げないままに口を開いた。 「……去れ。もう会うことはない」  ザクリと草むらに音をたてながら、ゾルは城門へと戻っていく。入り口から近衛が二人程走ってきたが、ゾルは首を振り二人を制した。俺は何とも言えない気持ちでその光景を見つめていたが、やがて大きく息を吐くと、黙ってその場を後にした。  
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