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「伊橋...これ、FAXしといて。」
何重にも鳴る電話の呼出音とキーボードを打つ音に色々な会話が飛び交うオフィスの中で、黙々と頼まれている仕事を消化していると、直ぐ斜め前から声が聞こえた。
それは、私、伊橋 織(いはし いおり)に掛けられた言葉で、その声に返事をしながら作業中の手を止め、声を掛けてきた人物の方を見た。
私のデスクの斜め前。そこは上司である課長の篠藤(しのふじ)の席。篠藤課長は私の方など見ず、ただ片手に書類を持ちそれを私の方に突き出していた。
緊張で若干声が上擦り、行動もぎこち無くなりながらも、差し出される書類を受け取った。
〝鬼課長〟そう影で呼ばれているだけあって、篠藤課長は私が書類を受け取る間さえも此方を見ることもなく、眉間に皺を寄せ視線は手元にある他の書類へ向けていた。
業界では大手の部類に入るこの会社に入社して三年。私は篠藤課長の笑った顔を見た事がない。それどころか、先輩達すら誰も課長のそんな顔は見た事がないという。
〝誰も笑った顔を見た事がない。〟
そう言うと語弊があるが、実際に取引先の相手に営業スマイルは見せたり、接点の多い男性社員には雑談の最中に笑う事もあるとは聞くが、私達女性社員には、営業スマイルさえも向けないのは事実だ。
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