第1章

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 生まれたての柔らかな朝陽に照らし出された世界の中で、ヴィクトールはげっそりと焦燥しきっていた。  原因は勿論、ようやく人里に下りた珠希が手に入れてきたミルクを飲んで満腹になり、すやすやと安らかな吐息を立てている聖司郎だ。  先ほどまで怪獣のように泣き喚いていたのに、ミルクを飲んだ途端すんなりと眠りに就いた聖司郎に思わず恨みがましげな視線を送ったが、そのあまりに愛らしい寝顔にすぐにその顔は思いっきり緩んだ。 「ヴィクトールさま。お顔が犯罪者のようになっております」    嘆息交じりの突っ込みにハッと我に返り、慌てて顔を引き締めて、照れ隠しだろうか。小さな咳払いをした。   「聖司郎が犯罪級に可愛いのだから、仕方なかろう?」  大戦時において四鬼聖の中でも激昂のヴァンパイアと人間たちからは恐怖を、コピーであるヴァンパイアたちからは憧憬を集めていた始祖が、このように人間の赤子風情に短期間でこれ程まで骨抜きにされるなど、誰が想像し得ただろうか。  大戦前も決して表情が豊かな方ではなかったが、大戦後はそれに拍車を掛けたかのように無表情になっていた。ただ単に何もかもが面倒になっただけなのだが、コピーたちが心配していたことをヴィクトールは知らない。  だからこそ突然花嫁探しを始めると宣言したヴィクトールに、コピーたちは協力的で、この時の珠希も呆れるよりも安堵していたのだが、これにも当人は全く気付いていないようだ。   「では、小屋の掃除を致しますので、外でお待ち下さい」 「よろしく頼むよ」  家の裏には大きな樹が植わっている。葉が生い茂り、うまい具合に陽射しを遮ってくれそうだ。  ヴァンパイアはよく陽の下では活動が出来ないと言われるが、それは力のないコピーの場合のみで、始祖ともなればほとんど人と同様に陽の下でも活動は出来る。  出来はするが、ヴァンパイアは基本的に夜行性だ。よって陽が昇ると体が勝手に眠りを欲するようになっていたし、流石に直射日光に当たりながら寝る趣味もなかった。  それに昨夜は聖司郎を宥め賺すのに多大なる労力を行使した為、いくら始祖とはいえ疲れきっている。寝入った小さな体を抱いたまま宙に浮き、樹の枝の上に寝転んだ。  仰向けに寝転んだ自分の体の上にうつ伏せにして寝かせると、ずっしりした温もりが呼吸をするたび上下するのが分かって妙に安心できた。
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