第1章

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「いやっ!」  妙にはっきりとした声が小屋の中に響く。最近になってよく出てくる単語だ。それが出るたびに頭を悩ませることになる。  ヴィクトールが聖司郎を育て始めて三年。俗に言う第一次反抗期である。   「で、でもね、聖司郎」 「やったらやぁっ!」  どうにか宥め賺そうとしても、絶対に折れない。  結局、意志が固くていいことだよね、うん、といつもヴィクトールの方が折れるのだ。  もうほとんど返事代わりとなっているその台詞に、半年も経つと軽く受け流すと少し言うことを聞くということに気付いて実践しているのだが、これだけは未だに手を焼いていた。  そう。髪を結うことである。  櫛を持って近付くと、何を言っても宥め賺してもイヤの一点張りだ。 「でも、縺れているよ」 「やっ!」 「じゃぁ、一層のこと切ってしまおうか?」 「やぁっ!!」  折角の綺麗な烏珠のような人間特有の漆黒の髪。ウェーブの掛かったヴィクトールの髪とは違い癖もなく、最上級の絹糸のようにさらさらとしているから早々に縺れることもないのだが、流石に長く放っておくとそうもいかない。  何しろ髪を洗った後でも絶対に梳かせようとはしないのだから、縺れもするだろう。  だから涙を呑んでお気に入りでもあるその髪を切ろうと提案してみても、それさえ素気無く却下される。  そうして結局ヴィクトールが折れてしまうのだ。 「それがダメなんだと思いますが……」 「しかしそれ以上言ったら、ヴィ、きらい、と言われるのだから、仕方ないじゃないか」    それはまさに、聖司郎の伝家宝刀である。  三歳児相手に涙目になる始祖もどうなのか、と珠希は思ったのだろうが、そこは一応主人のことを敬愛している彼女のこと、指摘するのは止めたようだ。 「少しお出掛けしてみては、いかがですか?」 「そうだね……。ちょっと精を付けてこようかな?」  そういえば今日は満月なのに、ちっとも体に力が漲らない。ヴァンパイアの力は月の満ち欠けに関係するのだから、本来なら満月の夜は一番力が満ちるはずなのに……。  これは相当重症だろう。だから勧めに甘えて、久しぶりに精気を養うために出掛けることにした。  しかしこの時、出掛けるべきではなかったのだ。  この後ヴィクトールは、ひどく後悔することとなる。
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