第1章

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「ヴィクトールさま。いい加減、戻りましょう」  一片も欠けることのない満月がぽっかりと中天に浮かぶ、そんな夜。  ぷかりぷかりと宙に浮く影に声が掛かった。  闇夜に浮かぶ月の銀糸を紡いだようなウェーブの掛かった長い髪が、風もないのにひらりひらりと舞い、月光を弾く。普段は燻るような灰蒼色の瞳が、己を呼んだ相手を見た。   「ん~、そうだね。でもまだ花嫁を探してないし……」    そう答えたヴィクトールと呼ばれた青年は、まるで重力を感じさせぬ所作で地面に降り立った。  その所作は優雅で、何も知らぬ者が目にすれば、思わず見惚れてしまうだろう。だがそれはなにも所作だけのせいではない。  軽くウェーブの掛かった、腰に掛かるほどに長い銀糸の髪に縁どられたかんばせは、一目見ただけで誰もが魅入られてしまう。  澄んだ深い湖のような蒼い瞳、すっと通った鼻筋、白磁のような白い肌は肌理が細かく、そこだけが紅を差したように紅い唇が蠱惑に弧を描く。  それが神の手によって絶妙なバランスで配置され、絶世の美貌を形作っていた。   「しかしヴィクトールさまはすでに、もう百人もの人間をご覧になられました」 「そうなんだけどね、珠希。私は、花嫁に関しては妥協する気はないんだ」  冷静な突っ込みに苦笑を浮かべ、肩を竦めるだけで全く言うことを聞くつもりはないらしい。  その言葉に黒髪を綺麗に結い上げた、二十代前半に見える女性の柳眉がピクリと跳ね上がった。   「しかしもう一か月も城を空けております。残してきた者たちがきっと心配しているはず」 「珠希の言うことも尤もだけど、自分の子供を宿す花嫁だよ? やはり吟味したいではないか」  はぁっと大きく息を吐いて、反論した時だった。その香りに気付いたのは……。  甘く芳醇な香りがささやかな夜風に乗り、鼻腔を擽る。それは粉うことなき極上品の香りだった。   「ヴィクトールさま!?」  それに釣られるようにふわりと浮き上がると、珠希が驚いたように声を上げる。しかしそれに軽く手を振って、風を辿ってその香りの元に急いだ。  辿り着いたその先には、一人の女が倒れ伏していた。頼りない月光が照らすその美しい顔には、もう生気は宿っていない。流れ出る深紅の液体の中、すでに命の焔は燃え尽きようとしていた。   「どうした?」  
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