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惜しい。実に好みの女だ。もしこうなる前に出会っていたのなら、花嫁の候補ぐらいには上げていたかもしれない。
ヴィクトールの声に、女の体がぴくりと動いた。それに目を見開く。声を掛けてみたのはいいが、まさか反応するとは思っていなかった。人間はとても脆くて壊れやすい。この女もこのまま、その命の灯火を消すものだと思い込んでいたのだ。
「この子を……」
それはもう声にはなっていない。空気を微かに振動させただけであったが、きちんと届いた。
その言葉に覗き込むと、女の腕の中に確かに赤子がいる。恐らくようやく首が据わったほどの月齢だろう。
そっとその子供を抱き上げると、それに安心したのだろうか?そのまま眠るように、僅かに開いていた女の瞼が落ちた。その顔に微かにではあるが笑みが浮かんでいるのに気付き、ハッと自分が陥った今の状態に気付く。
「え?ちょ、ま……っ!!」
これはもしかして、この赤子を託されたのだろうか?
焦って女に声を掛けるが、当然もう永遠に返事は返ってくることはない。そのことに気付き、呆然と屍と化した女を見た。
冗談ではない。自分の子供を作る前に、何故赤の他人の子供を育てなくてはならないのか。
赤子をそのまま女の元に戻そうと視線を落として、果たして固まった。赤子なのにあまりにも整った顔立ちに、目が離せなくなる。
艶やかな射干玉のような髪。何よりも惹かれたのはその瞳だ。赤子にも拘らず、くっきりとした二重瞼に嵌め込まれた、黒曜石を写し取った漆黒の瞳。泣きもせずにじっと見詰めてくるその瞳に、心は一瞬で奪われた。
赤子はそんな心情を汲み取ったのか。手を差し伸べ、その顔ににっこりと笑みを浮かべる。それはまさに天使の微笑みだ。
その笑顔に心震えた。
己の花嫁だ。思うままに育ててみるのも、いいかもしれない。
そんな考えが一瞬で頭を擡げた。これはきっと磨けば何よりも光り輝く宝石の原石だ。
「ヴィクトールさま?」
「珠希。私は花嫁を見付けたかもしれない……」
「え?」
ようやく追いつき、息を切らせている珠希に、赤子を抱き締めてその口許に弧を描く。珠希は呆気に取られたように、その笑顔と腕に収まる赤子を交互に見た。
「この子を育てないといけないからね。もうしばらくここで暮らすことにするよ」
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