0人が本棚に入れています
本棚に追加
だから物心ついた時には三軒向こうのおばさんの家に通って、特注の小さなクラリネットを使って音を出す練習をしていたの。でも、全然音が出なくて。あたし、手で拍子をとったり歌うのは得意だったのに、演奏はからっきしだったのよ。調子外れでも音が出ればいいけれど、あたしの場合は音が出なかった。「クラリネットはどこも壊れてないのにねぇ」なんて、おばさんに笑われたわ。でも「ゆっくりやりなさいな」って気楽に言われたものだから、毎日息を吹き込む音とも言えないような音ばっかりさせて満足してたの。おばさんは家事の合間を縫って気長にあたしの面倒を見てくれたわ。その頃はおやつにおばさんお手製のタルトを食べることの方がメインだったかしらね。おばさんの家のソファがあたしの定位置で、赤いタータンチェックの膝掛けと一緒にそこに座って。そしたらある日、音が出たの。何の前触れもなく。いえ、きっかけはあったんだと思う。兆しをくれた子がいたのよ。
いつもみたいにクラリネットを抱えておばさんの家に行ったんだけど、そこでおばさんの息子と初めて玄関ですれ違ったの。あたしよりちょっと年上で、赤い唇の可愛い男の子。小さかったあたしは絵本に出てくる白雪姫みたい! なんて興奮しちゃって。
「名前は? なんの楽器やるの?」
矢継ぎ早に質問したの。そのころ、白雪姫が本当に好きだったのよ、あたし。それにしても男の子をつかまえて白雪姫、なんてあたしってばどうかしてたのかしら。でも、今思い返してみても彼は白雪姫のままなのよ。本当なんだから。
彼はちょっと驚いたみたいで、口ごもってたんだけど、ぽつりと言ったの。
「……タクト」
「名前? それとも指揮棒の奏者ってこと?」
「どっちも。君は?」
「クラリネット習ってるの、おばさんに」
「ああ、母さんからよく聞いてるよ」
最初のコメントを投稿しよう!