クラリネットと口紅

5/12
前へ
/12ページ
次へ
 それから練習にも熱が入って、一日に何時間もクラリネットを吹いていたの。それこそ頭がぼうっとするくらい。おばさんは 「やりすぎると楽器によくないのよ」  注意してくれたんだけれど、とにかく音を出すことにあたしは夢中になっていて、おばさんもその気持ちを知ってか強くは言わなかったの。代わりに吹き終わったあとにするメンテナンスのことは小言みたいに何度も話してくれた。 「吹き終わったら中の水を拭き取ること。でないと大変なことになるわよ」  そう言われるんだけど「大変なこと」の意味があたしにはよくわからなくて。やっぱり子供だったし何度も手入れをサボったのよ。そしたら、ようやく微かに音が出始めたクラリネットにひびが入っちゃったの。手入れを怠ったらひびが入って吹けなくなっちゃうってことが、おばさんの言う「大変なこと」だったんだってようやく気がついたのよ。気がついたと言うよりは、理解した、の方が合っているかしら。もう取り返しがつかない時点で気づくことって、どうしてあんなに大切なことが多いのかしら。大切だから取り返しがつかないのだし、取り返しがつかないから大切なのはわかっているけれど、それでもあんな思いはしたくなかったわ。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加