1人が本棚に入れています
本棚に追加
その後ろ姿はやや白髪混じりで、染めもしない潔さが逆に心地よい。
「おかわりはいくらでもしてえいかいね」
スプーンを渡しながら、母は分かり切ったことを言う。
「カレーなんだから、しないとかいう失礼な真似は絶対にしないんで。いただきます」
「そうや、お母さんがせっかく作ったかいね」
「うん」いいえ違います。いくらレトルトでも、カレーに失礼だと言いました。
昔と同じ揚げ足取りを繰り返す。だが、この久しぶりの感覚はどうも居心地が悪かった。仲裁に入るはずの父親がいないためもあるだろうか。父は、私が家を出る直前に亡くなっている。
「ごちそうさま」
数年ぶりの、顔が見える人の作ったご飯。そして好物のカレー。懐かしさとともに、複雑な感情がこみ上げた。
「ああ、流しに全部置いちょって」
「分かった」
ステンレスのシンクが、ガチャンと重みのある音を立てた。
「なあ、香夏子。あの子ぉは覚えちょう?」
「え、誰?」
恐らく冬も仕舞われなかったであろう、埃をかぶった扇風機をつける。カレーで火照った体に調度良い。
埒が明かないので、あの、その、と言う母の曖昧な記憶を問い詰めていくと、やっと母は名前を思い出した。
「ほらぁ、村田さんとこの…響介くん」
「ああ」
幼馴染の名前に、先ほどこみ上げた複雑な感情が行き場を失くした。ダイレクトすぎるその名前。
「今、面白い仕事しちょっとよ」
「へぇー」
仕事。仕事。仕事。誰から見ても職なしの私にはきつい言葉だ。母の仕事を見つけてやりたいという気持ちは痛いほどわかるが、できれば言わないでほしかった。自分の惨めさが浮き彫りになる。
「JRに真幸駅ってあるっちゃろ、あの駅の入場券配る仕事しちょっとよ」
「…それはどんな収益が?」
意味が分からない。
「あー、それは聞いたことなかったわ、やから面白いと思っちゃけど」
「ああ」
NGOか、何か、ということだろうか。何のために響介がそんな仕事をしているのか、興味が湧いた。幼いころの響介の記憶しかない私に、今の姿は想像さえもしようがなかった。
「とりあえずバイト先探してくる」
翌日、私は朝一番に靴を履いた。
「そんなん言うても、すぐに見つかるとね」
「チェーン店のバイトぐらい、履歴書持ってけばなんとかなるの。行ってきます」
最初のコメントを投稿しよう!