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 ふたりきりになれる所に行きたい、と妻は言った。二人が夫婦になる前の、お互いがお互いだけを必要とし世界に二人だけで生きていけると信じなければならなかった頃、雪が舞う冷たい浜辺で彼女の鼻の頭は寒さで赤くなっていた。空から降る無数の小さな雪か積もることができずに波の中にただ落ちていく様は、大魚の口の中に抵抗むなしく呑み込まれていく小魚の群れのようにも見えたしその虚しさは彼の中に巣食っている鈍色の結石を思い起こさせた。  「……ホテルにでもいく?」  青ざめた彼女の顔色を察してそう言うと、  「ばかなんじゃないの」  とすっかり呆れて彼女が言った。ぷいと彼から身体を離し、寄るべも目的も持たないのにずんずん彼女は歩いた。砂地に沈み込む彼女の足跡を追った。「誰がいまセックスしたいだなんて言ったのよ」と背中が文句を言っている。ごめん、と彼は言った。彼女と話しているとすぐ彼は謝ってしまうはめになる。  「そうじゃない、いっしょに死んでほしいって言ったの」  そう告白した彼女の姿が、やはり背を向いていたのかそれとも澄んだ水晶のような眸をまぢかに見ていたのか、彼はもう思い出すことができない。幸いなことにそれは現実にはならず、こんなふうに思い出すような出来事のひとつでしかなくなった。けれど言霊は律義にも(あるいはいっそ几帳面であってくれたらと思う)彼女の願いを覚えていて、半分それを叶えてくれた。夫を残し、伴侶は死神に手を引かれてそう遠くないうちにあの海を渡ろうとしている。  投薬に喘いで妻はひいひいと喉を鳴らした。はじめのうち、妻のそんな姿を見る度に彼は動揺し、怯えて、患部ではないことを分かっていながら腕や背中を撫でさすったり手を握ったりした。そのうち彼の方も魔物に乗っ取られて妻を恨めしく思い、苛立った。  「そんなにおおげさに苦しまないでくれ」  と言葉で暴力をふるった。しかし彼女を責めた後その矛先はブーメランのように弧を描いて遠心力を得たぶん鋭く彼の腸に突き刺さって内蔵をえぐった。ごめん、と彼女は何も言っていないのに彼は力なく項垂れた。そんな夫をベッドの上から見上げて、妻は  「人でなし」  ととどめを刺した。それが正当な仕打ちだと彼は思った。
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