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その日だ、ということが彼にも彼女にも分かった。彼女は両親に夫と二人にしてほしいと最後の頼みをして彼は一人で妻の側についた。
「やっとふたりきりになれたね」
弱い声音で彼女は嬉しそうに言った。
「僕は君と一緒に行けない」
夫が苦しむのを妻は慈しみに満ちた眼差しで見つめた。
「私、こうなってラッキーだったと思うことにしたの。だって、あなたのいる世界からいなくなるのは、そうじゃないことよりずっと幸福だと思うの。ずっと練習しているのよ、最後の瞬間はあなたの顔を思い浮かべながらいけるように、眠るときはあなたのことを思い出すの」
彼女は健やかに笑った。彼は我慢できずに妻に覆いかぶさり、震えながら枯れ枝のような手を握った。実際それは寒い日だった。彼女は夫の髪に指を差し入れあやすように撫でた。
「僕を忘れないで」
彼は声を絞り出して懇願した。「僕のことを覚えていて」
「約束するわ。あなたをずっと覚えている」
愛した人がそう言うのにやっと安心して、彼は目を閉じた。
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