ヒガンバナの祈り

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 良いことなんてひとつもない──そんなあっという間の十五年間だったな、と新十郎(しんじゅうろう)は豪華な牛車に揺られながら思った。  この人生でただ一つ良いことがあったとすれば、この牛車に乗れたことである。  輿の枠は黒の漆塗り、そこに不死鳥だか迦陵頻伽だか、新十郎には学がないのでわからないのだが、なにかそういった煌びやかな鳥のようなものが描かれており、いかにも極楽浄土へ行けそうな雰囲気を醸し出している。留め具は全て金でできており、高貴だといわれるかの紫色を使った房が垂れ下がっている。座り心地も、進む速さも、全てが快適であった。 簾の外を窺えば、まだ水も抜かれている黒々とした田んぼが見え、道の端に村人たちが平伏して並んでいる。泣き咽ぶ娘や拝んでいる老婆などもいた。何事もなければ気分の良い眺めであったかもしれない。しかし、新十郎は生まれながらに牛車に乗るような身分の者ではなかった。  新十郎は平安の、魑魅魍魎が跳梁跋扈する世で下級武士の家に生まれた十番目の男子であった。彼の暮らす村では十五年に一度、どこか下級武士の家から一人、男子を牛鬼の生贄とせねばならぬ風習がある。さもなくば牛鬼は村の娘をみな喰らい尽くしありとあらゆる不幸を村に招くというのだ。  普通逆だろう、と新十郎は思う。神話と伝わる話では、妖怪は村いちばんの器量よしの娘を生贄に寄越せと言う。村人たちが泣く泣くそれに従うと、必ず一人の勇敢な青年がどこからともなく現れる。それは村人の一人であったり旅の者であったりするのだが、結局彼が娘を助け、感謝する娘と勇者はたちまち恋に落ち、二人は結ばれいつまでも幸せに暮らすのだ。  それがどうだ。この村はあべこべだ。間違っている、と新十郎は叫びたかったが、叫んだからと言ってどうなるわけでもない。ここの妖怪はどうあっても、はるか昔から十五歳の男子ばかりを喰いたがるらしい。それがいつから下級武士の家のお役目になったのかは知らないが、どちらにせよこの村で今年十五になる男子は、不幸にして新十郎しかいなかった。  新十郎は、光り輝くような美しい男子であった。凛々しい眉にすっと伸びた鼻筋、抜けるように白い肌、黒目がちな瞳を囲む長い睫。村の娘たちは、歳の上がる正月の近づくにつれ流す涙のかさを増やし、私が代われるものならばと半狂乱になる者も出るほどであった。
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