ヒガンバナの祈り

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 無理だ、と新十郎は思った。村に帰れなくともいい。死にたくない。こんな化け物に喰われるなんてごめんだ──後ろから牛の足が追ってくる。牛車と違ってなんて速いんだ。新十郎は振り返りもせずに走った。振り返ればその隙に喰われそうだった。木々に引っかき傷をたくさんこしらえられながら、新十郎はひた走った。東西南北、どちらへ向かって走っているのかすらわからなかった。しまった東へ向かえばよかった、そうしたら村の方角へ出られたのに、そう思ったが時すでに遅し、牛の足はどこまでも追ってくる。ちくしょう、新十郎は涙の流れるままに思った。何故おればかりがこんな目に遭う。ただ十五の歳を迎えただけで。何故おれなのだ。  視界がぼやけて乱暴に涙を拭うと、ずるりと足を滑らせた。そのままガサガサ落ち葉の上を滑り落ちていくのを、生えていた木の根を掴んで必死に持ちこたえる。滑った先がどうなっているのかを、下方を見て確認した。絶望的なことに、そこは切り立った崖であった。ごうごうと急流の音も響いてくる。恐らく下は川になっているのだ。 「おい、おい、お前」  牛鬼が地面を踏みしめながらゆっくりと近づいてくる。 「どこへ、いったいどこへゆく。その先は崖である、崖であるぞ。道はない、ないのだぞ」  新十郎は木の根を掴んだまま牛鬼を睨みつけた。──だからなんだというのだ。どちらを選ぼうが死ぬんじゃないか。 「わしは、わしは気が変わった」  牛鬼の言葉など、もう新十郎は聞いてはいなかった。 「わしは友、友がほし──」  木の根から手を離し、急流へと落下してゆく。新十郎は急流に飲みこまれ、流されるうちに滝へと運ばれていった。牛鬼はそのさまを、呆然と見つめていた。  新十郎の死体は滝の下の川岸に打ち上げられ、額から血を流していた。 「死んでしまった、死んでしまった!」  牛鬼は生まれて初めて涙を流し、新十郎の墓を作ると、毎日欠かすことなくヒガンバナを供え続けた。
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