第二章「森の奥に住む木こりの男の話」

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その様子を魔王は見ていた。 世間を知らない男を。 親によって長く虐げられている男を…ただ静かに見つめていた。 …そうして、ひとつ手を叩くと魔王はこう言った。 『…この森を勇者がまもなく通るはずだ。  そこで魔物の姿になった男を襲わせるとしよう。』 …魔王は、人を魔物に変える術に長けていた。 どの術も自由に使いこなす事ができたが、特に好むのは人を化け物に変えるそれだった。 『…愛するものや親しいもの。それらの近しい存在の姿が突如として変化し人を襲う。  これほど周囲に恐怖と絶望を与えるものはない…。』 そう告げながら、魔王は術式を組み立て始める。 造り上げるのは細工の細かいビロード敷きの豪華な椅子。 椅子には幾つもの式と魔力が仕込まれ、座るものはたちどころに魔物と化すように 作られていた。 『…この椅子は、見目こそただの豪奢な椅子なれど、座るものの受けた傷と比例して  強く魔力が作用し、そのものの体力と腕力となるように作られている。』 『この椅子を作るのに、余の体力の半分を消費することとなったが…なあに、  勇者は魔物になった男の力に適うまいて…。』 そして少し疲れた様子の魔王は小さく笑う。 『それにまんいち勝ったとしても、そこに倒れているのは一人の男…しかも、  勇者は森から続く一本道にいる…そして、昼になれば男の父親が帰って来る。』 『…勇者は目撃するだろう。酒に酔い、ぼろのようになった男を見つけ、足蹴にする  父親の姿を。勇者は知るだろう。男に無数につく、自分のつけたものではない  無数の打ち身と、さらに男を傷つけようする父親の姿を…。』 『…そうして悟るだろう。男が、この酔った父親により、毎日のように暴力を  受けていたという事実…そして自身がその不幸な男を殺してしまったのだと  いう、まぎれのない真実を…。』 魔王の笑いはますます大きくなり、ついには大広間全体に広がった。 『最高の見せ物だ。打ちひしがれる勇者の姿がいましも目に浮かぶようだ。  これでいい、これこそ余が求めた余興…。さあ、はじめようではないか…!』 そうして、魔王は狙いを定めると昼なお暗い森の中に魔力のこもる椅子を置いた…。
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