死神犬コハク

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☆  あの犬ですか。  あれはね、シロといって、隣りの家の飼い犬でした。  死神だって? 馬鹿馬鹿しい。  戦争中、お隣りには斎藤という家族が暮らしていて、勉という男の子が、子犬のシロを飼っていました。  空襲が激しくなると飼い犬を殺処分したものでしたが、勉君は懸命に隠して育てていた。勉君は体が弱くて親が学童疎開に行かさないので、友達がおらず、シロだけが遊び相手でした。近所では見て見ぬ振りをしていましたよ。  三月の大空襲の夜、うちの裏手に一トン爆弾が落ちて、この辺りの家は皆、爆風で全壊しました。  避難しようとしていた矢先で、私は家屋の下敷きになって、身動きできず、ガレキの隙間から、火の手が迫るのをただ見ているしかありませんでした。  隣りの斎藤さんの家もぺしゃんこに潰れていました。  落ちた屋根の下で、勉君がもがいているのが見えました。這い出そうとして両手で地面を掻いています。腰から下がガレキに挟まれて動けないのです。  炎がこちらへ迫ってきます。私は勉君を呼ぼうとしたのですが、胸が圧迫されて声が出ません。  子犬のシロがキャンキャン鳴いて、勉君の周りで足踏みをしていました。  勉君は、シロ、と呼びながら脱け出そうとしますが、家屋の残骸は重くて、とうとう地面に伏してしまいました。  勉君は声をあげて泣きました。シロは、その顔を、涙を、ペロペロと舐めて、クンクンと鼻で鳴いていましたが、勉君の襟元をくわえて、あとずさりして、引っ張りはじめました。何とかしてひきずりだそうというのです。  勉君も、最後の力をふりしぼって、手と肘で前へ出ようとします。
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