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話は檜扇が死ぬ数日前に遡る。
龍の胎児は胎盤や羊水を必要とせず龍宮に包まれているだけなので、貴人は妊娠してもそれ程体型は変わらない。しかも胎児の成長速度には個体差が大きいのでいつ産まれるか予測するのは難しいのだが、出産経験の多いカンナは檜扇の出産が近いと予想していた。
それなのに檜扇は訓練場に通い続けていた。
「次の世界大会はまだ先だ。ましておまえは決勝リーグまでシードで進める。訓練なら出産を終えてから再開すれば十分だろう」
赤龍が諭そうとすると、檜扇は鼻で笑って答えた。
「世界大会? そんなもの、もう興味ないですよ」
「じゃあ何の為の訓練だ」
「俺はただ強くなりたいだけです」
「だからそれが何の為だと聞いている」
重ねて尋ねても、檜扇は答えず不敵な笑みを浮かべて黙っていた。
焦れた赤龍は檜扇に近づき額に手を当てその心の奥を覗き見ようとした。しかし何も見えなかった。そんなわけはないと意識を集中しても無駄だった。
「どうしました? 俺の心、見えませんか?」
他国の長の妻ならともかく、赤い国に住む弟の婚約者の心が読めないなんて考えられない。それはつまり自分と同等以上の力を持つことを意味するからだ。
「おまえは一体……」
檜扇は赤龍の手から逃れて後ろに下がると、己の腹を撫でた。
「心配なのは、この子でしょう? 大丈夫。ちゃんと産んでみせますよ」
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