母の形見

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 寒い冬の日、病気の母親が息を引き取った。水森琴葉17歳の春だった。母の言った最期の言葉を今も鮮明に覚えている。 「琴葉、私が死んでも、天国であなたのことを守っていくからね。あなたが欲しがっていた腕時計、あげるわ」 「お母さん、逝っちゃいやだ」 それから十数年後、外科入院病棟の看護師になった琴葉は、患者に優しい白衣の天使と呼ばれ、皆に慕われていた。 「琴葉ちゃん、ごはん食べさせて!」 「退院したら、デートしてよ」 「こら! 私は仕事しているのよ、甘えないで安静にしてなさい」  そんなある日の深夜勤の担当日に琴葉が見回りをしていると、待合室の椅子でスマホをいじっていた入院患者を見つけた。琴葉がライトを当てると眩しがった。 「桐谷さん、こんな時間に何しているんですか? 病室に戻って下さい」 「いけね、見つかっちゃった! 病室で見ていると、他の人に迷惑かかるから、ここでこっそりやっていたんです」 「当たり前ですよ、他の人にも迷惑かかるから控えて下さいね、今日は見逃しますから気をつけて下さいね」 「はい、分かりました。気をつけます」  琴葉がその場を離れようとした瞬間、バタンと倒れる音がした。振り向くと桐谷が倒れていた。 「桐谷さん、しっかりしてください」 琴葉は、聴診器を桐谷に当てて鼓動をきいた。 「誰か、ストレッチャーを」  桐谷は、その後、手術して大事には至らなかった。胃潰瘍で会社のストレスだったらしい。後輩の指導役を任され、そのプレッシャーで悩んでいたと琴葉に打ち明けた。 「水森さん、助けて下さってありがとうございました。あなたの献身的な看病と素早い処置のおかげで元気になりました」 「私は、それが仕事なんです。お礼なんてよしてください。早く元気で退院して仕事復帰してくださいね」 「水森さん、退院したら、僕とつきあってください。ここに入院してあなたの明るく優しい人柄に惚れました」  琴葉は、驚いてカルテを床に落としてしまった。琴葉の腕時計の音がいつもより高く鳴り響いた。
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