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幼き日の自分から送られてきた手紙。伊藤氏が目を丸くしたのは、単にそれを見たからではない。そもそも、いつこれを書いたのか覚えがなかった。ただ、手紙には雑ではあったが、当時のことを思い出させる内容がありありと綴られて、それが自分自身が書いたことを伝えようとしていた。
ソッと目を閉じ、伊藤氏は当時のことを振り返る。
伊藤氏が建設会社に入社したのは偶然ではなかった。そこには父親の影響があった。当時といっても、もう五十年近くも前になるが、伊藤氏の家は決して裕福ではなかった。大工の仕事をしていた父親はほとんど、日雇い労働者のように、その日、その日に仕事をもらっては大工に勤しんでいた。裕福でないことに後ろ指を指されることもあったが、伊藤氏はそれを恥じりはしなかった。むしろ、誰であろうと人の為に頑張っている父親の姿が誇らしく思えていた。いつか、自分も父親のようになりたい。そう心に思っていたのだろう。今にして思えば、家族に苦労ばかりかけていた父親だというのに。
純粋な心をもった少年時代を過ごした伊藤氏であるが、そんな彼が一度だけものを欲したことがあった。それが、このメンコだった。駄菓子屋に飾られた一際、立派なそれは伊藤氏の心を掴んで離さなかった。伊藤氏はどうしても、そのメンコが欲しくて僅かな小遣いを貯めて、それを買った。少年の伊藤氏にとって、それは何にも代え難い宝物だった。だから、いつも肌身離さず持ち歩くようにしていた。
だったら、なぜ、それが今封筒の中に入っていたのか。昔の手紙を添えて、自分宛に。送られてくるなんて。
それについても薄らながら思い出すことがあった。
地元で行われた縁日の帰り、伊藤氏は賑やかな縁日の屋台から少し離れた場所にポツンと露天を構える小さな店に気づいた。もっとも、それは店と呼べるほどのものではなかった。小学校で使っているような古ぼけたテーブルと椅子に“てがみ屋”と書かれたのぼり旗を揚げている狐の面を被った人がいるだけだった。とても、店には見えず今にしてみれば不審者と間違えられてもおかしくない。けれど、当時の彼は臆することなく店に立ち寄った。
「すいません。ここは何の屋台ですか?」
少年が聞くと、狐の面の人は言った。
「ここはてがみ屋だよ。坊や、手紙を書かないかい?」
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