その1

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そんな、そんな・・・  どうしよう!  どうしよう、どうしよう! 「油揚げをトンビに取られちゃうわよ」という美香の声が蘇ってきた。  蒲田先輩を苗村由紀に取られちゃう。  嫌だ!  絶対に嫌だ!  蒲田先輩を取られたくない。  苗村由紀なんかに渡さない。  絶対に、蒲田先輩を誰にも渡さない! 「蒲田先輩・・・」  力ない、震えるような苗村由紀の声が聞こえた。  テニスコートの中を見ると、蒲田先輩の姿はなかった。  蒲田先輩が消える瞬間を見たのは、一緒にプレーをしていた先輩と苗村由紀とその友人だけだった。  3人は、蒲田先輩は途中でトイレに行き、戻って来なかったと口裏を合わせることにした。人が突然消えたなんて言ったら、頭がおかしくなってしまったと思われかねないからだ。そして私は、それに加担させられることになった。 蒲田先輩がいなくなったことに対して、すぐには実感できず、信じられない気持ちの方が強かった。 でも、苗村由紀に取られることは無くなったと、心の奥底でホッとしている自分がいた。  他のコートにいた人たちは、蒲田先輩が消えたことには全然気づいていなかったらしく、すぐに騒ぎになることはなかった。  しばらくして、蒲田先輩と一緒にプレーをしていた先輩がトイレに行き、戻ってきて、他の先輩たちに蒲田先輩がいなくなったことを告げた。  ロッカーには先輩の荷物が残っており、その中にはもちろん財布も残っていた。先輩たちは大学に連絡し、大学から連絡を受けた蒲田先輩のご両親は捜索願を出した。  財布も持たずにいなくなるなんて、私は新村君を思い出した。そして、蒲田先輩は本当に消えてしまったんだと受け入れた。 蒲田先輩がいなくなったことを受け入れると、私は悲しみのあまり大学に行けず、自宅で泣きながら過ごしていた。  心配した美香が何度か訪ねてくれたけれど、ショックから立ち直れておらず、ただ泣くことしかできなかった。  美香は黙って側にいてくれたけれど、蒲田先輩について何も触れなかったから、先輩は見つかっていないのだろう。  
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