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ダイニングテーブルに、男と女が向かい合って座っている。2人の視線は、テーブルの上に載っている離婚届に向けられていた。
男は妻であるこの女を捨て、別の女の元へ行こうとしていた。
離婚届には、男の名前と印鑑がすでに押されている。
「じゃあ、俺行くから」
この場の空気の居たたまれなさに、男は早く家を出て行きたかった。
「待って」
女は有無を言わせぬ口調で続けた。
「私、あなたにずっと秘密にしていたことがあるの。出て行くのなら、私の話を聞いてからにして」
女は静かに男を見た。
「智子~、聞いてよ~」
登校して席に着いたとたん、泣きそうな声で佐々木美香が訴えてきた。
胸元まである髪の毛をツインテールにしているが、切れ長な目がほかの中学1年生より少し大人びて見える。
いつも一緒に遊んでいる、幼稚園からの親友だ。
「どうしたの?美香」
いつも明るくて元気な美香がこんな声を出すなんて、初めてのことだ。
「あのね」
続きを言おうとして、ハッとしたように周りを見渡して口に手を当てた。
まだ教室にはまばらにしか人はいないが、美香の通る声だと他の誰かに聞かれてしまうとも限らない。
私の前の席のイスに座り、美香は声のトーンを落として続けた。
「田中先輩、彼女が出来たんだって」
「えっ、そうなの?」
私は驚いて、次の言葉が出てこなかった。
田中先輩とは、美香が所属するバトミントン部の3年生で、美香の初恋の人だ。
美香は、暇さえあれば実兄に会いに3年生の教室がある3階に通っているが、本当は田中先輩を見たくて行っているのだ。
「お兄ちゃんが教えてくれたんだけど、同じクラスの女子に告白されて、田中先輩OKしたんだって」
美香は机に突っ伏して動かなくなってしまった。
美香が田中先輩を好きになったのは、今年の4月。バドミントン部に入部した日だ。
一目ぼれだったらしい。
それ以来、美香は田中先輩一筋で、私は毎日、田中先輩の話を聞かされていた。
美香の気持ちを考えると、かける言葉が見つからず、私は黙って美香の手の上に自分の手を重ねた。
朝礼開始が近づき、美香が座っている席の生徒が登校して来ると、美香は自分の席に戻っていった。少し目が赤くなっていたが、先ほどよりは落ち着いたように見えた。
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