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1日、また1日。過ぎ行く時間は止められない。田に水を張る夏の灌漑水路に流れる水のようだ。
何もしないまま、今日も6時限目が終わった。箒を動かすフリをしながら、教室の窓から校門の方を眺めた。部活も掃除も無い3年生たちが、校舎から吐き出される。
私はその中に、田沼先輩の姿を認めた。どれ程の人混みの中でも、一目見ればそこにいるとはっきり判る。曇天の夜でも光り続ける、街灯の無い十字路の信号のように。後ろ姿を眺めるだけで、その声が聞こえる気がした。一面の田園で飛び回るツグミの鳴き声みたいに、それは頭の中で響く。
今週末にはもう卒業式がある。それまでに自分から会いに行く勇気も、その口実になる約束もなかった。
今ある約束は、卒業式の日、先輩に1冊の本を渡すというものだけだ。それだけが、木守りの柿のようにただ一つ残されていた。先輩と私は本の趣味が似ていた。共通して好きな作家の、そのデビュー作。先輩の受験終了のお祝いも兼ねて、卒業式の日に渡すことになっていた。
先輩が卒業してしまえば、多分もう会えない。それは種を植えていない畑から芽が出ないくらいに、当然のことだった。
どうせ最後になるなら。何度目とも知れないその気持ちを、首を振って頭から追い出す。
告白だなんて。カワセミに求愛するムジナなんて聞いたことがない。直接言うことなんてどうせ出来ない。
でも、たとえばそのプレゼントする本に手紙を挟み込むくらいなら。
駄目だ。そんなことをしたら、今までと同じようには会えない。
でも何もしなくても会えなくなってしまうなら…
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