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それから僕は、彼女と頻繁にやり取りをするようになった。週に何度か顔も合わせるようになった。でも、僕は彼女の顔をまだ知らない。
住宅街の一角。
趣のある重たい木製のドア。鎖樋のぶら下がる庇の下に、燭台が置いてある。そこに灯りがともれば、店が開いている証拠だ。
「本当にここなの?」
彼女は首を傾げている。行きつけだから分かるが、知らない人が見たら、少し古い一軒家にしか見えない。――僕は、まるで彼女を異界への入り口へと誘う案内人のよう。まごつく彼女の様子を見てにやけていると、彼女は「この意地悪っ」と悪戯っぽく言った。――こつんと僕のつま先を蹴りながら。
いい加減にしないと彼女が怒りそうだから。僕は、彼女を異界へと招き入れた。
中では控えめなボリュームでジャズが鳴っていた。間接照明が柔らかく店内を照らしている。フィルターを通して無菌衣の中に流れ込んでくる匂いだけじゃ、この場所を楽しむことはできない。僕は、袖口の赤色のボタンを押して、口を外界へと露出させた。彼女も遅れて開放する。
鼻孔にアロマキャンドルとウイスキーの香りが流れ込んできた。アロマキャンドルは、香りを添えるとともに、カウンターの手元をほの明るく照らしている。そしてカウンターの向こう側はひときわ明るく、スキンヘッドにちょび髭がトレードマークのマスターがグラスを拭いていた。
「いい雰囲気の店ね」
僕がカウンターの椅子を引くと、彼女は小さく礼をして座った。
「カンナは何飲むの」
「そうね。ジャックダニエルをロックで」
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