3人が本棚に入れています
本棚に追加
そして、彼女は海面に向かって倒れこんだ。背中に羽が生えていることを知っているように潔く、彼女は飛んだ。
そう、彼女は飛んだんだ。
ぼしゃんと鈍い水音がして、遅れてカモメが鳴いた。
青い青い海の中に彼女は沈んで、浮き上がってくることはなかった。――しばらくはそれを期待したけれど。彼女は僕とは違って、潔い人間だった。
潔くて、かっこつけで。
弱くて、儚くて。
自分勝手で、だけどたまらなく、いじらしかった。
その場に座り込んだ。地面に付いた右手に、何かが当たる。彼女のライターとピアニッシモのタバコが、岩場に取り残されていたのだ。タバコを吸ったことはなかったが、僕は何の迷いもなくそれを口にくわえた。
細身のタバコは、男の僕には似合わなかった。――けれど火をつけると、あのヤニとラベンダーとメンソールの混ざった複雑な匂いが僕の口中から鼻孔を満たした。
口の中に、煙とともに彼女の味が広がった。
僕はそれを、顎を動かして咀嚼して、悦に浸った。耳には、寄せては返す波の音。
本来知るはずのなかった世界の中で、静かにゆっくりと目を瞑った。
最初のコメントを投稿しよう!