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滝が頭頂を打ちつける。
水が、巨大な手のようだと本多忠高(タダタカ)は思った。
ならば、岩を打つ水音は叱咤の声だろうか。忠高よ、お主は武士であろう。しっかりせぬか。滝がそんな事を言っているような気がした。
褌一丁で滝に打たれる忠高の皮膚が収縮する。今日は比較的温かではあるが、3月の17日である。頭上から落ちてくる水はやはり冷たかった。
「小夜(サヨ)」
妻の名を呟いた。眼を閉じる。瞼に、苦悶で歪む小夜の顔が映った。
小夜の懐妊が発覚したのは去年の6月の事だった。
それが昨日の夕刻、産気づき、いよいよ子が出てくる段になったのだ。
小夜は齢15で、此度が初めての出産である。
まだ産道が狭く、難産になりそうだ、というのが昨日から屋敷に詰めている医者の見解だった。
大丈夫なのかと忠高が執拗に訊くと医者は露骨に煩そうな顔になり睨みつけてきた。
屋敷に居るとどうにも落ち着かず、また、自分が居ても何の役にも立てないので、忠高は馬を駆り、本多の屋敷がある蔵前からそう離れていないこの滝にやってきたのだ。
「男でも女でもよい。どうか、どうか丈夫な体で生まれてきてくれ。そして、小夜、どうか無事に出産を終えてくれ」
「兄上」
滝の中で声を聞いた。弟、忠真(タダザネ)の声だった。
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