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忠高は眼を開いた。水飛沫で煙る視界に、高揚している忠真の顔が映った。
「すぐ、屋敷に戻られませ」
忠真は走ってきたのか、息が乱れていた。
忠高は水をかいて、滝から進み出た。水中で生き物のように褌が揺らめく。
「生まれたましたぞ」
忠真が掠れた声で叫ぶ。
「兄上の子が生まれたのです。元気な、おのこです」
「おぉ!」忠高は一つ吼えてから、水から飛び出すや、木の傍に脱ぎ散らしてある着物を素早く着て、馬に飛び乗り、馬腹を蹴った。
すぐに馬が疾駆を開始した。
花が色づき始めている野山がぐんぐん背後に飛んで行く。何やら不思議な心持ちだった。まさか、自分が人の親になる日がやってくるなど、忠高は想像もしていなかった。
蔵前の街門を抜け、馬脚の速度を落とした。町内は疾駆禁止なのだ。忠高は逸る気持ちを抑え、手綱を操った。
家路を進む。通い慣れた路だが、永久に続くのではないかと思うほど、今日は家が遠かった。
本多の屋敷が見えてくる。
馬屋に馬を入れるや、忠高は一目散に敷居を飛び越え、上がり框で蹴り飛ばすようにして草履を脱いだ。
家の中が赤子の元気な泣き声で満たされていた。それはまるで勝ちいくさの時に起こる勝鬨のようだった。
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