第一章 春 ─『わたし』と“僕“とコイツ─

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第一章 春 ─『わたし』と“僕“とコイツ─

いつもと変わらない寝ぐせ頭のベリーショートを、丘を駆け登ってくる海風が撫でる。 いつもと違うのは、その頭に桃色の花びらが降ってきたこと。 それがほんの少しだけ、いつも下向きな気持ちを上向きに変える。 また、春が来た。 高校に入って三度目の春は、過去の二回よりも少しだけ気持ちが明るい。 あと一回、もう一回だけ四季を巡れば、この狭い檻のような街から出て、何の(しがらみ)もない都会へ飛び出すことができる。 この街が嫌いなわけではない。 洋館が建ち並ぶ古い街並みも、あちこちに点在するカトリック教会も、(さび)れた景色にさりげなく居場所を設けている狭い中華街も、嫌いじゃない。 それに、坂道の通学路は石畳で走りにくいけれど、坂の上から振り返って見下ろす街は、まるで異国の港町のようで、むしろ好きだ。 この街が、悪いわけでは無い。 この街に、なんの罪もない。 ただ、この長崎の街は、狭くてとても窮屈だ。 でも、あと一回・・・そう、あと一回だけ。 とりあえず、まずは早く桜が散ればいい。 桜が散って、若葉が茂って、柔らかな日差しが、肌に突き刺さるようなそれに変わって、明日にでも夏休みになればいいのに。 無理な願いを何度も胸の中で唱えながら坂道を登りきると、体育教諭兼生徒指導の岡部先生が、まるで門番のように校門前に立ちはだかっているのが見えた。
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