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それからは火を大きすぎず、かといって絶やさない程度に保つことに夢中になった。火をじっと見つめているだけで、日が落ちる。何もしなかったが、無駄な時間を過ごしたとは思わなかった。
朝昼晩と、どちらかが食事を持ってきてくれた。客がいる日は三食とも旅館の厨房でまとめて作っているらしく、早めの時間に翔が持ってきてくれる。
翔が同席することもあれば、朝から晩まで一人きりの日もあった。
夜は、どちらか片方が帰ってくることもあれば、二人とも帰ってこない日もある。そんな日でも、朝には必ず翔が来て薪ストーブの火を熾していく。
慣れた手つきで進められる一連の全てが松岡の興味を引いた。脇から覗き込むこともあれば、丸まった翔の背中だけを見ることもある。
灯油で湿らせたおがくずの匂いにも慣れた。ひねった新聞紙に火を点けると、インクの香りがふっと立つのも気に入ったし、火掻き棒で灰を掻き出すのも楽しい。炭を転がす乾いた音も耳に心地よい。
ときおり吹雪く風や突然轟くように起きる屋根からの落雪、朝方凍った窓に出来る霜の花も、静かな生活を彩るこそすれ、寂しいとも煩わしいとも思わない。
このふわふわした心地よさは薬の効果に過ぎない可能性もある。けれども、人工物全てを雪が覆い隠す無音の風景は美しく、厳かにも見える。自分の神経だけで感じるものではない気がした。薬のお陰にしては穏やか過ぎる。
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