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いったいどういうことなんだろう。
ぼくはお母さんの顔を盗み見た。
お母さんは小さく首を振る。
一緒にテーブルを囲んでいるこの男、お父さんのフリをしてるつもりなんだろうけど、まるでなっちゃいない。
湯気の立ちのぼるおでんになんか、お父さんだったら決して手をつけない。ところがこの、お父さんになりすました化け物ときたら、箸もつかわずに器を口もとに運ぶと、二股にわかれた長い舌をぬめらせて、たまごだ大根だ厚揚げだと次々に飲み下していく。それからひと息つくと、手の甲でグジュグジュと鼻をこする。そのまま鼻は力なくちぎれ、器に落ちる。
その有様を凝視するぼくに向かって、
「どうした、食欲ないのか」と顔面を近づけてくる。「さっきから全然食べてないじゃないか」
化け物はそのままぼくのお椀をのぞき込む。途端、そいつの眼球がボトボトと立て続けにお椀へこぼれ落ちる。
こみ上げるものをこらえるぼくより先に、おえぇっとうめきながらお母さんが席を立った。
「おい、どうした母さん」眼窩から粘液をしたたらせながら化け物がほほ笑む。「こりゃひょっとしたらヒデオ、おまえにも弟か妹ができるかも知れんぞ」
ゲヒッ、ゲヒッという気色悪い笑いをこぼしながら、そいつは眉の下にある空洞でぼくを見つめる。
ぼくはその穴に吸い込まれるように意識を失った。
あのおぞましい怪物の“テーブルマナー”を目の当たりにしたあたしはすぐさま洗面台に向かった。
いつも鬱陶しいくらいまとわりついてくるガードピンクは、こういうときにかぎって姿を見せない。詰め所と称して占拠しているクローゼットで居眠りでもしているにちがいない。
うがいをして顔を湿らせ、気持ちを落ち着かせる。
背中に声がにじり寄る。
「大丈夫かい、ハニー?」
ハニーですって?
あたしはうつむいたまま、なんとか返事をする。「ん、ええ、平気よ」
「そうか、それならよかった」夫の声をした怪物が背中に手を置く。
脊柱起立筋が怖気にうたれ、瞬時に直立する。
鏡ごしに怪物と目が合う。
「ほんとに大丈夫かい?」
夫の姿があった。
鼻も目もある、いつもの夫だ。
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