_破

5/10
前へ
/190ページ
次へ
 山を背にする二階建てのアパートで、彼らの部屋は二階の端にある。外階段を上がり、汐音が鍵を取り出す後ろ姿を、彼は不思議な心持ちで見つめた。  ここまではただの、焼き直しに過ぎない。これからあの、赤いフローリングが現れるのだ。  しかし困ったことに、彼の記憶は非常に断片的だった。山科燕雨がどうして凶行に及んだのか、彼の責任とわかること以外、全く詳細を覚えていない。  ドアを開けると、見慣れた古い八畳一間が、汐音の肩越しに広がっていた。 「わ! 何これ、ヒドイ匂い!」  驚く声には、切迫感が全くない。それもそのはず、そこにあるのは、至って日常的な光景だった。 「……漂白するなら、窓、開けていけよ」  山側の壁には、ドアからキッチン、シャワー、トイレが順に並び、キッチンの向かい、窓側の壁の角を大きなタライが占拠している。汐音が家を出る前に浸けたと思われる白い学生シャツが、塩素という独特の匂いを撒き散らしていた。 「だって雨降ってたしぃー。そもそも、誰もいないのに窓開けてたら不用心じゃん?」  彼らの狭いワンルームに、バルコニーという便利な場所はない。当然ながら、洗濯機なんて洒落たものもない。置き場がそもそも、一階の共有スペースにしかない。 「オレ、この一つしか替えのシャツがないんだから。まめに洗わないと、キレイな白は保てないんだよ」  汐音の普段着はほぼ学生服で、後は寝巻を持っているだけだ。  ツバメも似たようなもので、人間のように汗をかかない体で、そこまで服が汚れることもあまりないが、シャツの白さにはこだわりのある汐音らしい。
/190ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加