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 震える手で握り締められる、鞄の紐が最初に見えた。  ツバメの胸の中で、溢れる思い入れを発する小さな鞄。その想いに体を明け渡したために、観えているキカリさんの視界。五感以上の強さで流れ込む意識に、そのままツバメは身を任せる。 『ワタシ、がんばるよ……がんばるけど……ヒロユキの夢、ワタシじゃ叶えられないよう……』  キカリさんの嘆きの声に呆然として、男がツバメを凝視してくる。  この鞄は元々、男がプレゼントした物らしい。付き合いは長く、キカリさんが苛められていた学生時代に、知り合った彼氏のようだった。 『ごめんねごめんね、お金稼げなくてごめんね……でもワタシ、親に言えないようなこと、したくないよぉう……!』  自分が喋るキカリさんの声に、ツバメはぐっと、胸が痛くなった、この痛みはきっと、ツバメ自身の痛みだ。  何故ならキカリさんは、本当はこう思っていても、彼氏と約束してしまったのだ。今日は、彼氏が契約してきた店に挨拶にいく……そこで、自らの心に反する仕事をするのだと。  それらをおそらく、大まかに察していた汐音が、意地の悪い顔で微笑む。 「ツバメに似てるねぇ。やっちゃいけないようなことを、無理矢理しようとするところとかさ」  誰かの穴を埋めようとしても、無力だった過去。それは思えば、当然の帰結だった。 「やるなって言われてるのに、結局、ツバメもカラダを売ってるしね」  極端な話、自分が感じている誰かになれると、ツバメは勘違いしていた。  自身には自身の形――「やりたくないこと」があることを、わかっていなかった。それで他者の穴を埋めようとして、巧く填まるはずもないのだと。  キカリさんが結局、自分の意に沿わない新たな仕事を、受け入れ難かったのと同じように。
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