_序

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 最近立て続けに悪い夢を見るので、そろそろ何か起こるとは思っていた。  いつも仕事をしている駅前に向かいながら、豪雨に叩かれる彼はうんざりした気分だった。 「何でまたいきなり……雨になるかな……」  雨雲のせいで空は暗いが、遠くの山の上は青々と晴れている。  外に出た瞬間からずっと、後ろに続く二人組がいる。楽しそうに話している声がいやに耳につく。  溜め息をつく彼の前方で、通り雨にめげずに歩きスマホをしている男がふっと目についた。ホスト風の服装は、彼らの歩くローカルな道にはあまり合っていない。男もずぶ濡れの彼をちらりと見て、顔をしかめたように見えた。  山沿いの安アパートから町に出るまでは、いくつも住宅街を抜けなければいけない。  通ってきた道で、珍しい谷空木(たにうつぎ)を植える家を見かけた。「雨降花」なんて異名の木が生えているから、この近辺にはきっと雨が絶えないのだ。  ちょうど彼の目線の高さで、花冠の群れが一つだけ突き出ていたので、一房丸ごと折って手に取った。家主が見ていたら怒るだろうが、塀を越えて一般道を侵蝕する植木はあまりよろしくない。  谷空木の鮮やかな桃色の花はいつも、雨の時期に限って見られる。だから彼も、植物のことなんて全く詳しくないのに、名前を知っていた数少ない木だ。  何しろ彼は、雨の日にしか生きていない。  雨女という妖怪は実在するが、雨男はどうなのだろうか。  彼がいる限り雨が降り続ける世界は、彼を「雨の神」とする、どうでもいい下らない時空だった。
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