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「きみがそいつをあつかう様子――まるで魔術を使ってるようだね」  ヘルマンがつぶやくと、金髪の男は鮮やかな笑顔をみせた。 「だめだよ、人前でそんなことをいっては。あなたがまったく魔術を知らないとばれてしまう」  そういいながら撃鉄を半分起こし、銃身を立てて弾倉をくるりとずらした。  物騒なものを握っているくせにきれいな手だ、とヘルマンは何度目かのおなじ感想を胸のうちでつぶやく。昨夜その手はヘルマンの体をいじりまわしていいように弄んでいたのに、今朝はというと起きしなに、鋼を組み合わせた武器を分解して、また組み立て直したところだ。手首と指先の動きはこの銃の持ち主であるヘルマンよりはるかに的確で、自分がふだんの手入れで苦労している部位もするりと外してしまった。 「ここにはきみ以外いないじゃないか」  不満げにヘルマンが返すと「僕も勘定に入れるべきだね、議長」と金髪の男はいう。 「議長はやめてくれ。老けた気分になる」 「それならなんと呼んでほしい?」  金髪の男はいたずらっぽく笑った。あまり類のない美貌の持ち主だ。笑うと目尻がゆるんで冷たくなりがちな表情が柔らかくなる。たぶん自分よりいくつか年下なのに、身分も年齢も無視した言葉づかいをする。だいたいは予告なくあらわれ、そのたびに抵抗しづらい魅力的な笑顔でヘルマンを陥落させてしまう。昨夜の訪れも突然だった。もっともヘルマンの方で町に伝言を残してはいた。近くまでくれば立ち寄るように、と。 「ジョージでいい」とヘルマンは名を告げる。  金髪の男――エヴァリストは微笑んだだけだった。 「魔術は機械を組み立てるのとは似て非なるものさ」  表情ひとつで要求を拒絶して、なのに当の相手に残念にも思わせないとは、それこそ魔術にかけられているのかもしれないという考えがヘルマンの頭をよぎる。自分はこの近隣では名士として知られ、財産も地位もあるというのに。  だがエヴァリストは寝室でもけっして名前を呼ばなかった。誰に対してもこうなのだろうか。 「きみの得意の回路魔術もそうなのか? 機械と似たようなものかと思っていた」 「だからあなたは魔術を知らないといったんだ」  エヴァリストの長い指が確信をもって銃身や握りに刻まれた銀の模様をなぞた。 「この銃、どこで手に入れたんだい?」 「破産した商家だ。何が違うんだね?」  この銃は評議会の立会いのもとで競売にかけられた財産のひとつだった。  銀の美しい装飾以外はとくに変わったものには見えない。ただの雷管式拳銃(パーカッションロック)だ。「ただの」とはいっても、何年か前に発明されて以来絶大な人気を誇り、旧来の燧石式銃(フリントロック)を駆逐しそうな勢いの新型銃ではある。無名の銃工によって画期的な連発機構が考案されて以来、気の利いた者ならいまや、この機構の銃に夢中だった。  雷管式の銃は湿気の影響を受けないために不発が少ない。これで連射もできるとなって、最近は町のちょっとしたいさかいでもこの銃が持ち出されることが増えた。ひと昔まえなら酔っぱらいの喧嘩の主役は短剣と決まっていたのだが。 「回路魔術はひとが始終身につけたり、振りまわすものには合わないことが多いんだけど」  エヴァリストは銃身の銀の模様を撫でた。 「範囲を絞れば成功する場合があって、これはうまくいった例だよ」  ヘルマンが見守るなか、エヴァリストは上向きにした弾倉にフラスコから火薬を注いだ。とがった先端の鉛の弾丸をのせ、銃口の下側にセットされたレバーで奥に装填する。グリースを塗り、弾倉を回転させてまた火薬と弾をつめる。何回か撃鉄を起こして弾倉を回すと、銃を持ったままヘルマンへ流し目をやり「撃ってみる?」という。 「やめたまえ、危ないだろう」 「いいから狙ってみて」  小机に置いた武器をヘルマンの方へ押しやり、エヴァリストはつと立ち上がる。椅子のうしろに回ると座ったままのヘルマンの指に銃をつかませた。その気などなかったはずなのに、ヘルマンの手のひらが銃を握り、反対側の壁に向けて持ち上がる。果物籠の真ん中に埋めこまれたような赤い実へ、小さな照準がするりと重なった。 「引いて」とエヴァリストがささやく。  二度の動作だった。引き金を軽く引くと撃鉄が起き上がり、そのまま強く引くと同時に発射音が響いた。火薬の匂いと白煙がたち、とたんにヘルマンは我に返った。肩をおさえるエヴァリストの手をふりはらう。 「何をさせるんだ! 私は銃なんてろくに撃てな――」 「大丈夫だ。標的を見て」  ヘルマンは立ち上がった。白煙をのぞけば、部屋に起きた異変と呼べるのは果物籠の中にしかみあたらない。赤い実は砕けて果汁が飛び散っているが、それだけだ。重なっていたいくつかの果物を鉛の弾がつらぬき、止まっている。 「どういうことだ?」 「回路が照準合わせを手伝ったのさ。他にもいくつかの動きを補助している」  エヴァリストはヘルマンの手からそっと銃を外して机に置いた。 「どうも、剣より銃の方が回路とは相性がいいみたいだ。小型に組むのは難しいけどね」 「どうしてわかるんだ? もしかしてきみがこれを――」 「そうだよ。ここにあるとは思わなかった」  エヴァリストは首をめぐらした。ケースを探しているのだ。螺鈿細工の装飾がされた美しく贅沢な箱で、ヘルマンが落札した理由はこちらにもあった。銃の扱い方を知らないわけではないが、まともに当たることはめったにない。それでも相手はひるむし、飾りとしても悪くはない、その程度のつもりだった。 「決闘用に外さない銃をと注文されたんだ。名うての銃工が削り出して組み立てた銃身に僕が手を加えた」  ヘルマンの思いを知ってか知らずか、エヴァリストはあっけらかんと続ける。「あなたも使うといいよ。握りからあなたの魔力が銃へ流れるが、狙いを頭で意識さえすれば魔力のことは考えなくていい。ただ握って標的を見ればいいんだ。気を乱すものだらけの戦場でどこまで使えるかは未知数だけど、標的がはっきりした決闘場で有利なのはたしかだ」  ケースは寝台の脇にあった。エヴァリストは慎重なしぐさで銃をおさめた。やっと衝撃から冷めたヘルマンは冷静になってエヴァリストの言葉を考え直す。 「この銃ならどんな素人にも百発百中の射撃ができるのか?」 「議長、僕の話、聞いてた?」  エヴァリストは微笑んだ。いまだ硝煙がくすぶる武器について話しているとは思えない、華やかな笑顔だ。 「この銃がもっともよく働くのは標的がはっきり見えている場合だけだ。それにさっきもいったけど、回路魔術は個人の装備に向いてない。ずっと身につけていると装備者の魔力に影響されて回路が狂うことがある。おまけに「ただの銃」だって機械装置の一種なんだよ? きちんと手入れされた万全な状態をいつでもどこでも持っていけるとはかぎらない」 「そうか」ヘルマンはもう一度考えをめぐらせた。 「これは――たくさん作れるものかね?」 「いいや」  エヴァリストは即座に首をふった。 「回路魔術は銃を組み立てるように作れるものじゃない。これ一丁だけさ。悪いね」 「知りたかっただけだ」 「それに銃の性能は日進月歩だ。魔術がなくても殺し合いと戦争があれば進化する。だいたい、こんな武器は――」エヴァリストはケースを指さして目を細めた。「むしろ百戦錬磨の使い手にこそ、最大限に活用できるだろうね」  誰かの寝床を借りるのでなければ、町ではいつもニコラスの宿に泊まる。  ヘルマンの屋敷を一歩出たとたん、足元に精霊が飛びついてきた。馬丁の少年がエヴァリストの肩に飛び乗った精霊を見て顔をしかめた。顔にひっかき傷がある。エヴァリストが屋敷の中にいたあいだ精霊は厩にいたらしい。どうも迷惑をかけた模様だ。 「悪かったね」  少年に銀貨を三枚渡すと眼を丸くした。「新しい靴でも買いなよ」とエヴァリストはいいすて、馬上にのぼる。少年の足元はブーツではなくつま先に裂け目のある短靴だった。ヘルマンの顔を思い浮かべ、思ったよりけちだなと内心で評する。  ジョージ・ヘルマンは自分と同様に贅沢なものが好きな人間だ。彼の元には上質なものしかないからエヴァリストの好みに合った。見目も悪くなく、寝台ではエヴァリストの手の下で従順になるのも悪くなかった。だがけちなのは今ひとつだな、と頭の中で減点する。  悪い癖だぜ、とアーベルが頭の中でいった。そんな風に他人を計るな。元相棒はエヴァリストのこんなところが嫌いだった。 「いいじゃないの。きみの大嫌いな権力者さまだよ?」  エヴァリストは町へ馬をすすめながら、頭の中にいるアーベルに文句をいう。首に尻尾を巻きつけた精霊がなだめるように鳴いた。エヴァリストはふきだした。 「僕のこと気にしてる? ありがとう」  アーベルと会う機会がないわけではない。だがもう彼と一緒に歩くことはないだろうし、最近の彼――西方の故国にいる彼は、エヴァリストの頭にいる人間と完全には一致しないようだった。たぶんいつも背後で彼を守っている騎士のせいだろう。  一緒に行動していたときにも、エヴァリストの性癖でアーベルが嫌っていたことはいくつかあったが、好んで権力者に近づいてはたらしこむ癖はまさにそのひとつだった。しかし退屈しているときならめっぽう面白いゲームなのだ。  ヘルマンはそれほど歳をとってもいないのに評議会の議長という要職にあって、財産と名声を持っている人間らしく自信にあふれ、自分の判断に絶大な自信を持っている。そんな人間を魅了して、夜のあいだ泣かせたり、懇願させたりするのは面白かった。エヴァリストが飽きるまで、ではあるが。  おまえは他人をいいように操るのが好きだからな、とまた頭の中のアーベルがいう。そりゃそうだよ、とエヴァリストは答える。 「泣かされるより泣かす方がいい。当然でしょ?」  どうも最近、エヴァリストの頭の中にいるアーベルは、自分自身の――良くも悪くも「善良な」部分になっている気がする。しかし善良さなどいったい何の役に立つのだろうかと、エヴァリストはときおり真顔で考えるのだった。自分が邪悪だと考えたことはないし、エヴァリストにいわせれば、恐ろしいのはむしろ善良さの方だった。もしかしたら幼い頃、人々の善意の行動の裏にある感情にさらされ続けたせいかもしれない。  まだ日も高い時間だが、ニコラスの店は快くエヴァリストを迎え入れた。入口は一見ふつうの酒場のようにみえるが、階をあがるごとに調度が贅沢になっていく。エヴァリストの部屋はつねに三階の手前だ。主人に金貨を渡すと彼は無言でエヴァリストの肩をみつめる。 「その――お方は同室でよろしいですか?」  精霊が尻尾をエヴァリストの首にあて、抗議するようにパタパタ振った。エヴァリストはもう1枚金貨を取り出した。 「僕といっしょじゃないと面倒をかけるらしいからね」 「かしこまりました」  そのまま階上へ向かおうとすると、主人が思い出したように呼びとめる。 「ああ、エヴァリスト様」 「なに?」 「今晩奥でアポイントがございますが、お約束ですか?」  エヴァリストは無言で主人をみつめた。精霊の尻尾が首のまわりに巻きついてくる。この子はすこし敏感すぎるみたいだな、とこの場に関係ないことを思った。 「誰だって?」と問いかえす。 「申し訳ございません。あいにく当方へ名乗られませんで」主人の態度はあくまで慇懃だった。「カレン様とヘルマン殿のご紹介とおっしゃいましたが」  エヴァリストは肩の精霊に手を添えて撫でた。 「わかった。来たら教えて」  さまざまな意味において、川の近辺でニコラスの店を知らない者はもぐりだ。この店では多種多様な情報が手に入るし、伝説的な人物に出会うことすらあるかもしれない。たとえばジラールのような、最近とんと噂を聞かない人物にも。  おまけにこの店は遊ぶ材料にも事欠かない。なのでエヴァリストは午後しばらく階下でカードに興じていたが、いかさまを三人見破った時点で飽きてやめた。階上にもどってふてくされた精霊をなだめるうち、やっと日暮れがちかくなる。  最近は一日がひどく長いのだ。寝転がって精霊と遊びながら名前を考えようともしたが、良さそうな候補も思いつかなかった。名前を考えるのはあまり得意ではない。北の古老なら即座に名付けてくれるだろうが。  退屈してうたた寝していたとき、使いが扉を叩く音に起こされた。 「お客様がお見えです」  やっと退屈しのぎがきた、とばかりにエヴァリストはいそいそと階段を下りた。精霊は眠っていたので、そのままにしておく。  カウンターの奥の部屋では見知らぬ男が待っていた。反射的に放射される感情を読み取ろうとするが――精霊魔術が使える人間の特権のひとつだ――妙にのっぺりして、中身がよくわからない。めずらしいタイプだと思うと興味がわいてきた。正面に座って給仕が持ってきた酒を受け取る。上質のワインだ。相対する男が持つグラスには透明な液体が入っている。 「それ何?」  唐突に訊ねると男は驚いたように眉をあげる。「水?」とエヴァリストが畳みかけるとあわてたように首をふった。 「まさか」 「なんだ」  妙な落胆を覚えながらエヴァリストは給仕に料理を頼んだ。銀貨を渡すのも忘れない。 「カレンとヘルマンの紹介だって? 用件は何?」  座りなおして相手にもう一度問いかけると、さっき不意打ちしたときとは人が変わったようで、また殻に入ったような反応だった。放射する気分が読みとれないのだ。ニコラスの店には得体のしれない人間が集まるものだから別段はじめてというわけでもないが、なんとなく気に入らなかった。 「あんたは魔術師らしいな。回路魔術も精霊魔術も使う」男は眼を伏せたままぼそりといった。 「ああ。それで?」 「武器も作ると聞いたが」 「ちがうよ」  即座に答えると男は眼をあげる。琥珀色の眸の中で炎のように光るものがちらりとひらめく。  エヴァリストは微笑み、歌うようにつづけた。 「僕は武器をいちから作るわけじゃない。回路魔術で武装を加工するだけさ。僕は刀鍛冶でも銃工でもないんだ。同じように防御もやる――これも回路魔術で」 「砦の防御も?」 「よく知ってるね」  男は商人のような身なりをしていた。どちらかというと羽振りの悪い方にみえる。しかし実際の職業が何なのかは相変わらず読みとれない。 「砦を破る武器を注文したい」  男の声はまたぼそりと宙に放たれた。 「えーっと……」エヴァリストはあくまでも軽い口調で返す。 「僕にそれを頼んでるんだよね?」 「他に誰かいるか?」 「いないらしいよ」  エヴァリストは皮肉っぽく唇をゆがめたが、口調は変わらないままだった。グラスの酒を一口飲んで、答える。 「砦を破るといってもいろいろなやり方があるけど、要するに何をしてほしいって?」 「回路魔術による防御をすべて破壊できる武器を作ってほしい」 「なにそれ」エヴァリストは鼻で笑った。 「一個中隊に持たせようっていうならお断りだよ。僕は一点ものしか作らない」 「侵入するのはひとりだ」  男の声はしゃがれていた。 「要するに欲しいのは――<魔銃>だよ」 「へえ」エヴァリストは唇をなめた。グラスをテーブルに置き、腕を組む。濃い金髪が眼元を覆って影をつくる。 「たいそうな名前のものを欲しがってるね」 「あんたなら作れるはずだ」 「なぜ?」 「砦の回路を組んだのがあんただからさ」  いきなりエヴァリストは笑いだした。その声に男はムッとした顔つきになり、一瞬堅い殻から出てきたようだ。今のうちにと彼の心から漏れ出てくる音や像をエヴァリストは広げた感覚で拾った。精霊魔術が使える人間の便利なところだ。この男の商人らしい外観は嘘ではない。だが……  もっと奥を探ろうとしたとたん感覚がまたすばやく遮断された。 「なぜそんなに笑う」と憮然とした顔つきで男がいう。 「可笑しいからだよ」とエヴァリストはいう。 「何がそんなにおかしいんだ」 「そりゃ可笑しいだろ。僕が作った<最強の盾>を僕が作った<最強の銃>で破れっていわれれば」 「できないと?」 「まさか」  まだエヴァリストには笑いの余波が残っていた。  給仕が困ったような顔つきでこちらをうかがっている。手を振って料理を運ぶよう指示し、エヴァリストはやっと真顔で男をみた。 「報酬とか期限とか、そういう話は今できるんだよね?」  男は困惑した表情で眉をよせていたが、その言葉にようやく安堵の色をうかべた。 「ああ」 「それなら聞くよ。退屈していたからちょうどいい」  きっとアーベルならやめておけといっただろう。面倒事をひきうけるな、と。  しかし逆に、ひさしぶりに取り組みがいのある課題をもらったともいえた。エヴァリストは心が浮き立つのを覚えた。川の向こう側がきな臭いわけだ。  砦が厄介なのはよくわかっている。何しろあそこはアーベルの故国の城をまねて、偏執的なほどの防御をほどこしてあるのだ。さすがにゼルテンの回路はないが、しかし…… 「詳しい話を聞こうか。まずは名前を教えてくれる?」  エヴァリストは料理を前に座りなおすと、本格的な「商談」に入った。
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