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 才能と呼ばれるものにはさまざまな種類がある。  訓練によって鍛えられる種類の才能もあるが、道具を使う者を選ぶ才能がこの世にはある。ジラールがそれを悟ったのは少年の頃だ。最初のときは覚えていない。もしかしたら開拓小屋に乱入し、父親を殺して去った馬泥棒を追った時かもしれない。  侵入者はわずかな金品と繋がれていた馬を盗んだが、父親が壁のすき間に隠していた猟銃にも、竜巻を避けるために床下に掘られた穴にも、そこで息をひそめていた少年にも気づかなかった。ジラールは十二歳で、三日前に父親から弾と火薬のこめ方を教わったところだった。  無法者が床板を踏む音、拍車が鳴る音を少年は聞いていた。穴から飛び出したとき、無法者は盗んだ馬を扱うのに手こずってまだ近くにいた。馬の気性は荒かった。少年は銃と火薬、それに弾の袋を引き出し、教わった通りに装弾した。発射薬と弾丸を入れ、突き棒で押しこむ。当たり金をあけて点火薬をのせた火皿を閉じる。そして窓から屋根によじのぼった。銃尾を肩にのせ、燧石を挟んだコックを全起こしにして、狙い、撃った。  これが、ジラールが人を撃った最初の機会になった。  夜明けの光の中で岸辺にずんぐりと生えている木々の梢から白サギが飛び立った。浅い川面に降りたつと彫像のようにじっと動かなくなる。  対岸のこの辺りには畑がない。ジラールは小舟を川原にひっぱりあげ、茂った葦の草むらに隠す。粗末な農夫の服装で、切り取った葦をくるんだむしろをかついでいる。むしろの中身は見た目より重いが、背負っている様子からはまったく伺えない。  砦はここからはみえないが、ずっと先の橙色の段丘の上に刻まれた彫刻のようにそびえているだろう。砦の将軍は軍馬の部隊を擁し、畑をうるおす水路や灌漑装置、井戸を掌握している。軍隊は将軍の命令のもと、徴税をはじめとして、領民の統治や懲罰に柔軟に使われる。  だだっぴろい草原、山脈、砂漠、森林……この大陸には歴史の浅い国や部族統治が乱立している。海の向こうからやってきた移住者による独立国、人の手で引いた国境など素知らぬ顔で馬を駈ける文字を持たない部族たち。国境は山脈や川で区切られた自然の境界で作られる場合もあれば、一見なにもない平原にひかれた見えない線の場合もある。 「将軍」の領地は北は砂漠で区切られ、南は川、東西は騎馬部族の草原と重なっている。「天に定められし者」と名乗る将軍は、実際は移住者の子孫なのだろうが、正確な出自を知る者は粛清され、いまや誰もいないといわれている。バルコニーから領民に姿をみせるときはいつも鎧と兜で武装している。兜からは牛の角が突き出している。  ジラールは半日かけて歩いて行った。馬に乗った兵士にすれちがうたび、腰を深く折ってやりすごす。乾いた土が舞う牧場とまばらな畑の間をぬけたが、水場では立ち止まらなかった。やがて砦がそびえる段丘に似た地形があらわれると、すき間から日陰に入りこみ、むしろを立ててその脇で横になった。  夜まで眠った。起きると携行食をかじり、水筒の水を飲む。  砦が建つ段丘がシロアリの巣のように食い荒らされているのは遠目にはわからない。将軍は領民を動員して大規模な工事をほどこし、元の地形に手を加えた。地下まで迷路のように道をはりめぐらせた段丘は砦の一部なのだ。最上部は緑の木々に覆われている。  将軍が暮らす宮殿――図面によれば広い後宮を擁している――や庭園は、巨大なポンプでくみあげた水脈でうるおされている。地図によれば領国の地下を走る水脈は、岩山が点在する東の国境付近で地下に深い流れや淵を作っている。この流れはいずれ領地の境界をなす大河へ注ぐ。  将軍の支配に対抗する組織(レジスタンス)はそんな岩場と地底を拠点にしていた。  もともとは将軍の軍隊に畑を没収されて避難してきた農民たちが、小さな共同体をつくったのがはじまりだ。岩場では山羊を飼うくらいが関の山だったが、たまたま金の小さな鉱脈が発見された。機転のきく者がそれをひた隠しにして、川向こうとこっそり取引するようになり、やがて将軍の不満分子を受け入れるようになった。いまでは小さいながら兵士の訓練場所も武器庫もある。  砦と段丘はひんぱんに改築しているため人夫の徴用がひきもきらない。ジラールに暗殺を依頼した男からは、スパイを忍びこませ作り上げたという地図や砦の内部図面が渡されていた。将軍の跡継ぎはまだ幼く、実質的な後継と目されている側近は三人いる。彼らはつねにあるじの寵を競っているだけでなく、たがいに疑心暗鬼にもなっているらしい。  拡充したとはいえ武力では圧倒的に劣るレジスタンスは、正攻法で蜂起を起こすのではなく、まず肝心の主を暗殺して、後継者たちの対立をあおった上で奇襲し、砦を制圧するつもりのようだ。段丘と一体になった砦を正攻法で落とすには多数の軍隊が必要だし、おまけに回路魔術で守られてもいるから、理解できなくはない。  その回路魔術が問題だった。防備のための魔術装置は将軍が住む宮殿を囲む城壁全体に仕掛けられ、魔力は宮殿内部の者により維持されている。外から内への攻撃――狙撃や侵入――を跳ね返すような仕組みだった。将軍は段丘の中腹に作られた領民との謁見場所に週に一日姿を見せるが、段丘の内部を直に伸びる通路を昇降装置で下降してやってくる。外部に姿をさらすのはごくわずかな時間にすぎない。  宮殿に侵入するか、謁見場所に姿をみせた瞬間を狙って小銃(ライフル)で狙撃するか。  使える手段はすべて用意するにしても、ジラールは実現可能性が高い方からつぶしていくことにしていた。  退屈だな、と歩哨に立つ若い兵士は考えていた。  彼は段丘の最下部を見張る者のひとりだ。大柄で、力には自信がある。もともと農民だったのに、その体を見込まれて将軍の軍隊へ取り立てられたのだ。腕は立つ方だと自負している。周囲からは頭抜きんでているとはいわないまでも、そこそこ認められてはいるはずだ。いずれはただの警備兵ではなく、将軍を間近で守る護衛兵になれるかもしれない。  将軍の軍隊は剣と銃の装備を渡す。これも若い兵士には魅力だった。とはいえ銃弾をうまくあてる自信はあまりない。銃よりも体格を生かして剣で戦う方が自分には向いていると思っている。そう訴えると上官はあっさり彼の希望をみとめたので、いつも長剣をさげていた。  もっとも砦の周囲でこの武器を使う必要はないのかもしれない。巡回のときなら愚かな盗人を追って切ったり、反抗的な領民を威嚇するために抜くことがあるが、ここで砦を襲う馬鹿者がはたしているのだろうか。  今夜は新月で夜は深かった。兵士は小さくあくびをする。風が吹いて松明がゆれる。最近の巡回で見かけた若い娘を思い浮かべる。きれいな娘だった。ずっと気になっているが、上官にバレないように近づくのは難しいだろう。それにきれいな娘はともすると宮殿の後宮へ召し上げられてしまうという噂がある。  例の娘には弟がいて、そちらも見目がよかった。少年を従僕として徴用しては寝所まで連れこむ上官もいると聞いたことがある。女は将軍の後宮に入れられてしまうが、男なら大丈夫だから、だそうだ。  宮殿に足を踏み入れたことはない。無断で侵入する者は魔術師が仕掛けた危険な罠にかかって恐ろしい仕打ちにあう。実際、罠にかかった者を若い兵士はみたことがある。宮殿に莫大な財宝があることは領国の外でも有名だから、これで一攫千金だと勘違いした命知らずがごくまれに盗みに入るのだ。そいつは数日のあいだ逆さに吊られて段丘にぶら下げられていた。兵士がおろした時はまだ息があったが、吊られた箇所以外は外傷もないのになぜか全身の生気と魔力を奪われ、生ける屍も同然だった。  また風が吹き、影がゆれた。ぼんやりしていた――そう兵士が思った時、首のまわりに太い腕が巻きついた。  もがくまもなく、意識が遠くなった。  ジラールは農夫の服を脱ぎ捨て、歩哨の装備を身につける。  横たわった歩哨にむしろをかぶせ、麻袋から取り出した武器を手早く身につける。短剣、拳銃二丁、小銃、弾と火薬。歩哨の長剣をひろうと段丘の奥にのびる通路を進んだ。  図面はすべて記憶してここまできた。だいたい正確だが最新版ではなかったらしい。岩を掘りすすんだ通路途中に倉庫然とした壁龕がある。松明の影になるくぼみにジラールは眼をやり、拳銃1丁と予備の弾を隠した。さらに奥にすすみ、裂けめのようなすき間をみつけてもぐりこむ。  暗闇のなかで手をのばすと、岩壁に掘られた切れ込みに触れた。剣や銃を吊ったまま身軽な動作でよじのぼる。  まもなく狭い足場に出た。あいかわらず真っ暗なので、足場だとわかったのは靴底が触れる感覚とごくかすかな反響のせいだ。図面を頭に思い浮かべ、長剣の鞘を杖のように使いながら左方向へ移動する。壁をさぐってふたたび切れ込みをみつけるとさらに上った。  謁見場所を見通せる段丘唯一のポイントに出たとき、すでに夜は白みはじめていた。  剣の柄で護衛兵の延髄を一撃して倒して取って代わるとジラールは風向きを再度計算する。あらゆる計算は家を出る前に行い、方向の確認も済んでいるが、計算すると気分が落ちつく。この季節は昼間、地表では風をあまり感じなくなるが、段丘の中腹は地表とはちがう。  ジラールは銃に弾をこめる。箱弾倉で連射できるようにした新式だった。将軍が来るはずの場所に照準をいったんあわせる。  そして待った。  待つのは得意だ。  はじめて撃った銃弾は狙った男の肩をかすめたが、そのまま馬泥棒は逃げ去った。ジラールは牛をひき、開拓地の隣人まで歩いて父の死を告げに行った。埋葬後、牛は隣人へ売り、銃をかついで町へ出た。  ひとりで銃を背負って歩く少年は荒っぽい開拓地の町でもあまりみかけない。そのころのジラールはそれほど体格に勝っていたわけではなかった。少年に目をつけた荒くれ者が数人、にやにやしながら近寄って行ったとき、鋭く制する声があがった。  それが「あの人」だった。  ジラールは事情をきかれ、寝る場所を貸してもらった。何をするつもりかと問われると「探している」と答えた。誰をとはいわなかった。自分でもわかっていなかったかもしれない。  庇護してくれた男の使い走りをこなしながら、何日ものあいだ町で待った。ついに現れた泥棒をジラールは板張りのテラスを歩く音で聞き分けた。拍車を踏むリズムを違わず判別し、そのまま宿へ向かう泥棒の後を追って、父の銃で撃った。  あの人はそれを知っても「狙った獲物は逃がさないんだな」といっただけだった。  ついに将軍があらわれたとき、獲物を待つ猫科の獣そっくりな様子で、じっとしていたジラールの背中がぴくりと動いた。  弾道と風をすばやく計算する。はじめて撃った銃にくらべると今の銃はずっと命中率が上がっていた。立ち止まる将軍のひたいに狙いをさだめ、引き金をひく。  瞬間、かすかに銃口がぶれた。みおぼえのある横顔が視界の端をかすめ、一瞬注意がそれたのだ。  発射音が響きわたる。わずかにぶれた分弾はそれ、弾丸は将軍の顔の横をすり抜けていく。  次の瞬間ジラールは体を起こし、撤退にかかっていた。銃を背負って岩壁を下りはじめる。一瞬みえたあの横顔については頭の隅におしやった。考える時間はまだある。  いまは別の方法を試さなければならない。
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