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1 初めての一人暮らし
「恋人と暮らすからって……出て行っちゃいましたよ……」
保高眞昼は、一年中日焼けと無縁の指で札束を数えながら、ふうっと長い溜め息をこぼし、ぽそりと呟いた。
「あら、そう」
狭い事務所内で、熱い緑茶をまったりすすっていた店長の相づちがあまりにもつれない感じだったので、聞こえてなかったのかなと思い、眞昼は彼女の方へ顔を向けた。
「あの、聞いてます?」
すると一拍置いてから、店長は丸顔をぐるんと勢いよくこちらに向けた。
「保高くんの彼女が? まあ! それは大変じゃないの! ダメよ保高くん、たとえ自分が悪くなくても謝らなくちゃ」
矢継ぎ早に言葉を投げられ、眞昼は、興奮した動物を落ち着かせるように店長に手の平を向けた。
「いやいや、違います違います。何度も言ってますけど、俺今、彼女いませんから! 家を出たのは……俺の母親です」
「あらやだ、お母さん?」
「はい。何の前触れもなく突然宣言されて、びっくり仰天というかまさに青天の霹靂っていうか……。優雅にお任せパックで荷物を運び出したみたいです。でも、持っていくものはほとんどないって言ってたけど」
「まあ……お任せパックなの」
お任せパックというワードに妙に関心を示しつつ、店長はつきたての餅のような白い頬に手を添えている。
眞昼は数日前の、母との会話を思い浮かべた。このところは、眞昼の方が勤務時間が長くなり、まともに顔を合わせていなかった。
久しぶりに母が「遅くてもいいから夕飯を一緒に食べましょう」とメモを残していたから、めずらしいなと思いつつ、できるだけ早く退勤できるように頑張ったのだった。
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