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――けれど。
「確かに俺の職場は小さいスーパーだけど、いろんな仕事任されてるし、やり甲斐もあるんだ。そんな簡単に辞められないよ」
「大丈夫よ、私が直接話をつけてきたから。先日晃夜くんと一緒にオーナーさんと話したの。あちらは納得してくれたわよ。それに、あんたが辞めても困らないって言ってた」
「え……」
――嘘だろ
母に「じゃあ、がんばってね」と言われて、広い玄関に身体を向けたのは覚えているのに、気が付くと、いつの間にか眞昼はエレベーターの中にいた。
ぼんやりした頭のまま、一階のボタンを押す。ドアが閉まり、鉄の箱は静かに動き出した。
眞昼は、四歳から母と二人で生きてきた。特別母に甘えた記憶はなく、関係性は実にドライだった。そのことに対して、眞昼は不満を感じることはなかった。
なのに、今さら放り出されたようなこの虚しさはなんだろう。
「俺は築四十年の団地だってのに、自分はこんな高級住まいかよ。しかも彼氏と同じ会社で息子を働かせるって、なんだよそれ、勝手に決めんなよ」
キラキラした鉄の箱の中は清潔で、汚れや手垢など見当たらない。管理が行き届いている証拠だ。
一方、団地のエレベーターは落書きだらけであちこちが剥がれ、おまけにアンモニア臭がするから、眞昼は五階の自宅まで毎日階段で昇り降りしている。このエレベーターとは雲泥の差だ。
尤も、眞昼はその団地から退去を迫られている身であり、自分の収入を考えたら、安普請のアパート以外に住めそうな場所はない。
エレベーターが一階に到着しても、途方に暮れた眞昼は、しばらく動けないでいた。
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