9 心の距離

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9 心の距離

 スーツの上着と鞄を放り、自宅マンションのソファーで、眞昼は撃沈していた。  自分があまりにもマヌケであきれ返っていた。晃夜の自宅へ行く気満々で走り出したものの、眞昼は晃夜の自宅も住所も、何一つ知らなかったのだ。  わかっているのは名前、年齢、同じ中学校出身、現在は同じ会社で働く先輩。そして社長の息子。それだけ。 「ここまで自分がアホだったとは……」  この数ヶ月、なんでもかんでも晃夜任せでおんぶに抱っこだった。その結果がこれだ。眞昼は晃夜のことを何も知らなかった。  卒業した高校や大学、趣味。好きな女性のタイプ。――まったくもってわからない。「女性のタイプ」は想像してみて、勝手に落ち込んだ。  自分が話すばかりで、晃夜のことを何も知ろうとしなかった。晃夜は、何も訊かない眞昼をどう思っていたのだろうか。胸が痛くて、瞼がじんわり熱くなる。  幼い頃、兄に会えなくなって、淋しくて辛くて、悲しかった。  ずっと胸の奥に、頭の片隅に常に、幼い頃離れてしまった兄の存在があった。兄に会えなくなって淋しくて辛くて、だからこそいっそ忘れてしまいたかった。  けれどどうしても、手の温もりだけはずっと記憶に残ったままだった。その代わりなのか、他のことはどんどん忘れていった。楽しいことも嫌なことも。だから、晃夜のこともすぐに思い出せなかったのだ。  急速に不安が襲ってきた。出張で晃夜が海外へ行くという話を聞いたときから、眞昼の胸の中は揺れて安定しなかった。  晃夜に関することを何か思い出さないと、もう彼に会えなくなるんじゃないかと、極端な思考が浮かんでしまう。
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