第1章

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私の上で動く顔に、小さな粒の汗が浮かんでいる。太い黒ぶちの眼鏡が鼻の上で揺れて、いまにもずり落ちそうだ。 35歳と言っていたから、わたしと13歳も違う。なんで私としようと思ったんだろう。 考え込みそうになるのを振り払うべく、こう頼んでみる。 「もっと、壊れそうな感じにしてほしい」 相手の動きが一瞬止まる。戸惑っているのが手に取るようにわかる。 もうこれでも十分強い力だ、そこまでやっていいのかと言いたいのだろう。 すぐやれると女の子を見下しているくせに、臆病だ。 心の中でバカにすると、少しは気分が晴れた。 「お願い」 興覚めな自分の気持ちも盛り上げようと、細い声でか弱さを演じてみる。 するとその人も狂ったように動き始めた。お腹の真ん中を削り取られている感じが戻ってくる。気持ちがいい。 会ったばかりでエロいことをできて、次の朝には何事もなかったように他人になれる。 そんな私は男の人にとって都合がよいらしい。 だけど私にしても、都合がいいと求めてくれる存在が街中にうようよいるなんて、ありがたい世の中だと思うのだ。 欲しくなったら調達して、自分から手放せる。大人しそうにみえるのに、そう言われる見た目を武器にして、私はあちらこちらと渡り歩く。 次の朝6時、私はその人より先にホテルを出た。灰色の空から、冷たい大粒の雨が降りてくる。12月らしい寒さだ。マフラーをきつく巻きなおし、顔をうずめて歩く。 10歩くらい先に、なにかが転がっている。それは小鳥だった。羽が黒くてお腹が白い。 もう一歩近づいてみると、その白いお腹が、赤で染まっているのがわかった。ショーウィンドウに身体を打ち付けたのだろうか。小学生の頃、校舎のガラスにぶつかってきた小鳥を思い出す。 雨がどんどん強くなってきている気がした。一度通り過ぎてしまってから、小鳥のところへ引き返した。 小鳥は片方の羽を動かし続けていた。飛ぼうとしているのか、寒くて震えているのかわからない。そばに飛び出た屋根があったので、そこに小鳥を置いた。 まだ寒そうだったので、左手の手袋を脱いでアスファルトに敷いた。 他になにができるか、思いつかなかった。とりあえず、もう雨粒は当たっていない。 「ごめん、もう行くね」 呼吸をしているのかわからない小鳥から目をそらし、私は歩きだした。 信号が青になる。横断歩道を渡りながら、そういえば小鳥は一度も鳴かなかったな、 と思った。
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